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〜蒼天恋歌・序章〜

 褥に香るは白檀、揺れる肌は白磁。
 たゆたうようなぎこちない動きに、揺らめくのは白い翼。
 藍色の闇で男は、現世にある中で一番美しい物を見ていた。
 少なくとも男の瞳には、それが天上のきらめきに見えた。
 雲が切れたのか、御簾の向こうに月明かりが差す。
 そのかすかな明かりを受けて、男の上で身体を揺らす少女の姿が浮かび上がった。
 少ない曲線ににじんだ汗は華奢な身体を滑り、淡い光を照り返す。
 ふくらみの少ない胸を隠すかのように脱ぎかけの衣を細い両腕で胸の前にかき寄せてあるが、男の動き一つごとに寄せる腕の力が抜け少しずつはだけていく。
 そろえられた前髪が揺れるたび、強く閉じた目尻に涙がにじみ、小さな口元がゆがむ。
 痛々しく見えるが、そうさせている原因の男は少女の腰を押さえつけていっこうに力を緩めない。それどころか、より勢いを増していく。

「…っっぁ……」

 声にならない叫びをあげ小さく首を振る少女の中に、男はひときわ強く腰を繰り出した。
 男の身体は大きく、腕には確かな筋肉といくつかの傷跡がついていた。褐色がかった無骨な太い指で肉の少ない少女の臀部をつかみ、自身がより深く少女の中に埋没するよう動かした。

「っあぁぁっん…っ」

 最後に少女の中深くへ自分を到達させると、男は少女の中を自分で満たした。
 男が自分の中に達すると同時に少女は、男の胸に倒れ伏した。

「…大丈夫か、神奈」
「だっ、大丈夫かっ、ではっ、ないっ」

 荒い息をついている少女の髪をいじりながら問う男に、少女・神奈は息を切らせながら答えた。
 語調こそ強いが、声はか細い。元がか細いのではなく、行為の後だから力を入れられないでいる。
 そして、された行為を嫌っていないから、少女は身体を男に預けているのだ。

 少女の名は神奈備命、人里離れた山奥に建てられたこの館の主にして最後の翼人。
 神奈の背には翼人の証である大きな翼が生えているが、神奈は未だ翼で空を飛んだことはない。だが、伝承では翼人の翼は大空を羽ばたき、その知識は人の身では量れないほど深く広く、天候さえ左右する力を持っていたと言われている。大空を羽ばたく姿は、まさしく人を超えた神そのものとも。
 これから持つであろうそれらの力・知識のために、少女は命という尊称付きで生きたまま奉られている。
 もっとも、「奉られている」というのは表向き、実質的にはそこに「囚われている」ような生活であった。
 それを不満とは少女は思わなかった。
 不満と思えるだけの比較対象を、少女は知らなかった。
 ただ漫然と日々を過ごしていた少女の前に、ある日嵐がやってきた。

「ふむ……いつものように覆い被さると翼が痛そうだと思ったんだが、いつも通りが良かったか」
「そういうことを、言っておるのでは、ないわっ」

 先ほどよりは余裕がでて、少女は拳で軽く男の胸板をたたいた。
 そう、少女にとっての嵐は、この男をおいて他にない。

 男の名は藤森阿栖。朝廷に血縁という名の蔦で絡み付き今やその勢力は盛りの藤原家、そのごく末端の血筋に生まれた男だ。
 末端すぎて本来なら防人などの役職に就くのがせいぜいな阿栖は、だがしかし藤原家の主に並々ならぬ目をかけられた。
 与えられた職は文官で、位は内裏にはいることを許されるほど高いものだった。
 嫁いだ娘がいるとはいえ、阿栖の齢はまだ四十足らず。功績も特になく血筋も遠い身の上では望外の役職だった。
 もちろん、それには意味がある。
 野山を駆けめぐるのが好きで、馬の世話が好きで、流行りの恋文をしたためるのが下手な阿栖はただ一つ、生まれながらに与えられた物があったらしい。
 その才能は、藤原本家に抱えられた有能な陰陽師の易によって発見され、当主に喜んで用いられた。

 易に出た阿栖が持つとされた希有な才能は、
『一族に有用な子を残す』
 そんな、使い勝手の悪い物だった。

 易は当たったのだろう、阿栖と交わった女はほどなく懐妊し、美しい娘を産んだ。
 当主の子として大事に育てられた娘たちは皆、天皇の一族に見初められ、次期天皇候補を産んだ。
 あとは当主が表と裏で存分に手腕を振るい、まだ幼い次期天皇「候補」を次期「天皇」の座に就かせるなどをして、自分は後見人となり思うさま政治の舵取りを行った。
 元からつぼみを抱えていただけに花開くのは一瞬だったが、それは阿栖によって生まれた美姫たちに支えられた藤原一門の隆盛だった。
 立役者の阿栖には褒美として地位が与えられた。…ただし、それはあくまで秘密裏に。
 阿栖が欲をかかないうちは、阿栖が藤原にとって役に立つ存在であるうちは、当主は阿栖を大事にはする。
 だが、それは諸刃の剣だ。
 ことが露見すれば藤原の家の中が荒れ、派閥が生まれ争いが起こる。そうならないよう、阿栖には力を与えすぎない。
 どこをどう見ても武官が似合う阿栖が文官、しかも歴史を編纂する平穏で退屈な部署に任命されたのはそういった事情があった。
 阿栖には心根は良いが身体の弱い妻があてがわれ、その妻との間にできた娘も家は良いが住処が遠いところへ嫁がされた。
 母娘とも縁を取り持ったのは阿栖の叔父であったが、背後に当主がいることは間違いなかく、そのことに阿栖は知って知らぬふりを通した。
 ただ、巻き込まれた妻を哀れむと同時にいとおしみ、娘の行く末を案じた。

 その阿栖が、ある目的を帯びて神奈の元へやってきた。
 叔父に言われてだったが、やはりその裏には藤原家の当主がいたのだろう。役職の変更や手配は滞りなく行われ、もっともらしい役職を与えられて送り出された。

 阿栖に課せられた役目はただ一つ。
 人の身に近くありながら遠い、まさしく天上の存在である翼人を藤原の血に取り込むこと。
 これは、望むだけでも大罪になりかねないことだった。そして、隆盛を極める藤原だからこそ考えることができる野望でもあった。
 神と称されるもの血を受け継いでいるとされるのは、神奈と天皇一族だけなのだから。
 ここで翼人の血、天皇の血を束ねれば、それは揺るぐことのない頂点に座する一族の誕生だ。
 藤原は、すでにある大木に絡み花を咲かせる藤の生き方から、自身を一つの揺るぎない大木にする生き方への変更を案じたのだ。

 阿栖は今まで自分の役目を疎んじていた。
 身に余る美女をその腕に何人も抱きながら、行為は義務であり重大な責任を負わされ、どこか息苦しい物だった。
 思われただけの成果があがらなければ自分の命はすぐに切り捨てられる恐怖も、常につきまとった。
 ましてや今は、何か不始末があれば自分だけでなく嫁いだ娘にまで害は及ぶだろう。
 人質を取られた阿栖は、自分が藤原の子を孕ませるだろう相手に同情しつつ、京を発った。

 到着してまず阿世は、立派ではあるが内部の人間に覇気のない社殿に驚いた。
 どのような館でも姫のいる家では、女房は主人のために張り切るものだ。
 だが、ここにそんな殊勝な女官はいない。
 淡々と役目をこなしながら、どこか遠くを思い焦がれて目の前にある「今」から目をそらしている、女官たちの心情はそう見て取れた。
 
 二度目の驚きは、いよいよ御簾ごしに対面というときだった。
 衣擦れの音が聞こえた直後、御簾が揺れて白くて幼い顔がのぞいた。
 貴族の娘にはあり得るはずのないはしたない行為だ。
 そのままずかずかと意匠の変わった巫女装束をまとった少女は阿栖のそばまで歩いてくると、何の躊躇もせずに顔をのぞき込んできた。
 いくら幼いとはいえ少女も女。これほど間近に男女が顔をつきあわせるなど、父娘か寝床での行為でしかあるはずがない。そのようなことはしきたりや風習を覚えることが苦手な阿栖でも知っているごく普通の常識で、知識と神性を兼ね備えると言われる翼人の末裔が知らないとは、思ってもいなかったのだ。

「そちの名はなんというのだ」

 常識を知らない少女の乱暴な物言いに、阿栖は重い責務を忘れた。責務を忘れさせたのはかすかな怒りと、正体のわからない共感だった。
 違和感だらけの少女に抱いた共感の正体はわからなかったが、阿栖には少女が好ましく、同時に気になる存在と認識された。

「藤森阿栖、これからおまえとまぐわう相手だ」

 尊称も何もつけず、自分が幼い頃から使い親しんだ言葉で、翼人の少女に話しかけた。
 本来なら隠しておくべき役目も告げて、目を白黒させる少女の顔をにらみつけた。

「まぐ…わう…とは、なんのことだ…?」
「俺の名前は覚えたか」
「あ…と…え?」
「藤森阿栖。ふじのもり、あせい、だ」
「あせい…阿栖、か」

 混乱を極めながらも、少女は阿栖の名を確かめるようにつぶやいた。目の前の男が言う言葉はわからないことだらけだが、名前という確かな物がわかった。
 それだけでも、わからないことしかなかった先ほどまでよりは落ち着きを取り戻せた。
 よっていた眉根がゆるんだところを見計らって、阿栖は更に言葉を続けた。

「で、おまえは誰なんだ」
「え…余は……かんな、神奈だ」
「うん、神奈だな。一つ教えておく」
「う、な、何だ、申せ」
「俺はおまえに、子供を孕ませるのが役目だ。今宵から役目に取りかかるから覚悟をしておけ」
「う、つまり、まぐわうというのはおまえの役目なのだな。よくわからぬが…役だというなら、はやく取りかかるのは良いことだ」
「なら話は早いな」

 阿栖はその場で、神奈を押し倒した。
 巫女服を敷いて、何をされているのか何が起こってるのかわからない神奈が、されていることを理解するより早くことを済ませた。
 時間自体は短くなかったが、ことの最中は神奈に思考力は無かった。大きな波の上で揺れる木の葉のように、自身を保つことで精一杯だったのだ。
 初め自分より大きな存在が覆い被さることにわずかばかりの恐怖を抱いたようだったが、それ以外では声を立てるでもなく暴れるでもない神奈に、阿栖は三度目の驚きを抱いた。

 阿栖の驚きは、その三度で済んだ。
 細かい驚きはあったが、どれも皆その三度を超える物ではなかったからだ。
 ややきつめだが輝きを持つ黒い瞳、小さい鼻、桜の花びらのような唇。
 白い肌は張りつめて、腕も足も細く伸びやかで。
 ぬばたまの髪が白い翼を際だたせるさまは、夢の中に迷い込んだと思うほどだった。
 無骨な腕でつかめば手折れそうなほどか弱く見える神奈を、阿栖はゆっくりと時間をかけて貫いた。

 神奈は、行為が済んでもまだ「まぐわう」という意味を把握していなかった。
 ただ、自分がされたことが阿栖にとっての「役目」なのだと、節々が痛む身体で理解した。

「余は…おぬしを手伝えたのか?」

 帯を締め直すついでに、神奈の衣まで整える阿栖に神奈は声をかけた。
 阿栖は不器用でなかなか前がきれいにあわせられないが、神奈にとってそれは些末なことなのか口を出すことはなかった。
 ただ、自分を脱がせた相手が身繕いをしてくれることが、どことなく気恥ずかしかった。

「ああ、神奈がいなくては俺は役目を終わらせられない」

 帯の結び方に苦闘しながら、阿栖は神奈の顔を見ずに答える。

「まだ終わっておらぬのか。……余はもう、身体が重い」
「すぐに続けるわけじゃない。だが、何度も繰り返すことになる」
「それが、阿栖の仕事なのか?」
「ああそうだ、役目だ。先に言うが代わりは立てられないぞ、おまえでなければ意味がない」
「余でなければ、か。ならこれからも手を貸してやろう」
「手伝ってもらわねば困る。頼んだぞ」

 見目は悪いがなんとか帯を結び終えると、衣の上から神奈を抱きしめた。
 痛くも苦しくもない抱擁に、神奈はそっと阿栖の腕に頬を寄せた。

 端から見れば一方的な年端もいかない少女への陵辱は、しかし神奈を辱めることはなかった。神奈は行為の意味を知らないまま阿栖と肌を重ね、身体を開かれ、なお無垢であり続けた。
 
 阿栖の行為は幾夜にも渡り、季節も移った。
 だが、神奈はまだ身体ができていないのか、いっこうにその腹の中には子が宿らなかった。
 月が変わるたびに阿栖は都へあがり、直接成果を報告したが、実りのない結果を聞いても藤原家当主は阿栖を責めるでもなく静かに酒を酌み交わすだけだった。
 阿栖は知っていた、実のない報告を受けるためのたった二人きりの酒宴でさえも、この当主は自分にとって最大限に有利な状況を作るための演出にしていることを。
 杯に注がれる酒が干されるたびに、阿栖のあずかり知らぬ場所では陰謀劇が繰り広げられている。いつだか天皇が内裏を抜け出て出家した時も、当主はこうして誰かと酒を飲んでいたのだろう。
 そうやって、自身の手を汚さず身綺麗なまま、内裏の奥に鎮座するのが藤原家の当主なのだ。
 このような化け物に阿栖は逆らえるはずもなく。

「しばし、続けるが良い」

 繰り返されるその一言で、阿栖は幾たびも幾たびも神奈と褥をともにした。
 美しい月の晩も、静かな雪降る夜更けにも。

 



                               …続く…