【Top】 【Home】

秋子にお任せ〜弁財天伝説〜

 子供の時には信じているのに、大人になれば忘れてしまう。…そんな昔話は、どこにでもある。
 小さな小さな、その北の町でも同じ事。
 でも、ただ一つ、その町は他の町とは違っていた。
 その町では、子供には教えられることのない、大人しか信じない昔話がある。

 伝説。
 場合によってはそう言われる話が実際にあったことを、俺はこの目で見たことがある。


 水瀬家の女主、秋子さんは謎が多い。
 作るジャムは天下一品なのに、たまに原材料不明のジャムを作るかと思えば、家族さえ知らない仕事へ赴く。
 たおやかな笑顔、落ち着いた物腰、まるで理想の母を具現化したような秋子さんの実態、特に職業を探ることが、今日の俺の使命だ。

 財布の中身と、預かった釣り銭を確かめて、財布の口を閉じる。
 持参の買い物袋が見た目にもずっしりと、その細い腕に掛かる。
「毎度、水瀬さん。また来てくれよ!」
 威勢のいい八百屋に笑顔で会釈をして、商店街を戻るように店を覗いて回る。
 秋子さんはいつもこんな風に、商店街にとけ込んでいるのだろう、歩くだけで数人の人と挨拶を交わしあっている。

「お、秋子さん、今日はマグロの落としがあるんだよ。他を買ってくれたらつけるけど、、買っていくかい?」
「あら、良いのかしら? だったら貰おうかしらね」
「毎度! 」
 八百屋から百メートルほど離れた魚屋で、品物を入れたビニル袋を受け取ろうとした瞬間を、俺は見逃さなかった。
 魚屋が表情を変えずに秋子さんの耳元で何かを囁くのが見えた。
 ほんの僅かの間のやりとりは、当人達にしか判らなかっただろう。もちろん、一瞬流れた微妙な空気などを感じ取る者は、その場には居なかった。…俺を除いては。

 秋子さんが袋を受け取ると二人は元の魚屋と主婦の顔に戻り、何もなかったかのように笑顔を向けあう。
「ありがとう、またお願いね」
「秋子さんにはかないませんから」

 魚屋を離れ、秋子さんの足は真っ直ぐに自宅へと向かった。
 気付かれないように注意しながら、俺もその後を追った。

 自宅から数分で出てきて、更に出掛けてきた秋子さんが足を止めた場所は、これから開発されるだろう街の一角。
 昔からある商店街とは趣が変わって、大きい道路と新しいスーパーの目立つ区域である。
 統一されているのは、建っている建物が新しい、と言うことだけだろうか。そういった場所なので、隠れるところが少なく少々精神的な苦しさを感じていた。
 それでも道路脇の植木の影から見やると、秋子さんは真新しい建物の中でも、華やかな装飾の施された店の前に立っていた。

「…ここね」
 風向きのお陰で辛うじて聞こえたその言葉と共に、秋子さんはその店の敷地へと踏み込んでいった。
 もちろん、俺も追いかけなければならないが、下手に動くと姿が丸見えになってしまうため、秋子さんが物陰に入ってからしか動けない。

(見失ったか!)
 足早に秋子さんが立っていた場所へ行くが、すでに姿は見えない。…が、辺りを見渡すと、出口はここしかないようだ、秋子さんはこの店の中にいるはず。
「でも……なぁ……」
 俺はもう一度、辺りを見回す。
 秋子さんが入っていった建物…それは、真新しいパチンコ店だった。
 『有閑会館』と描かれた看板が、道路に面して派手に掲げられている。花輪もずらりと、入口まで並んでいる。
 なのに、派手な看板や、花輪の華やかさに比べ、どことなく閑散とした印象を受ける。
 平日昼間とはいえ駐車場が閑散としている辺り、たぶん流行っていないのだろう。『新台入荷!』のポスターもくたびれている。

 用心深く店に近付く。全面ガラス張りのため、こちらから見やすいが向こうからも見やすいだろう入口から、張り紙を利用して顔を隠しながら中を覗く。
 予想したとおり閑散とした店内では、パチンコ玉の出る音もほとんど聞こえず、台のモニター画面もデモを流し続けている。
 真新しい制服姿の店員も、今ひとつ表情が冴えないようだ。
 その中で、だからこそ目立つ場所が一つだけ。フィーバー中の電飾が輝き、数人の店員がそこへ集まっている。

(今だ!)
 チャンスとばかりに、俺は自働ドアの開くのさえ待ちきれずに中に入り込む。
 人気の少ない島を覗くが…居ない。
 一つ、二つ、三つ…そして、一番騒がしい島。
 手前にあるカードの自動販売機に隠れ、伺うと…。
「居た!」
 確変中の札のついた席、ギャラリーに囲まれたその中央、手元に自動販売機のジュースの紙コップを置いて、秋子さんは居た。
 表情はいつもより、やや満足そうに見えるのは気のせいだろうか。
「珍しいよな、この店であんなに出すの」
「なんかやばい事やっていたりしてな」
 俺の後を通りかかったまだ若い従業員二人の言葉に、嫌な想像が頭をよぎった。

 俺は秋子さんの職業を知らない。
 女手一つで娘を育て、更に親戚の子供まで受け入れている。それ相応の収入があるはずなのだが、それが何かは解っていない。
 もしかしたら、秋子さんの職業は、俺が求めている答えは…。
 そして、もし俺の予測が正しいのなら…。
 俺は、慌てて秋子さんへと近付いた。が、反対側から人混みをかき分けて、制服姿のやや恰幅の良い初老の男性が、秋子さんへと近付く。
「通してくれ!」
 狭い通路に集まったギャラリーを押し分けて、俺は前へ進んだ。
 人の頭と頭の隙間から、秋子さんが席を立つのが、初老の男性と従業員に挟まれるように奥へと去っていく後ろ姿が、ちらちらと見えた。
「頼むから、通してくれ!」
 逆流してくる人混みを、俺は必至にかき分けた。すれ違う顔が俺の方を物珍しげに見るが、そんなことに気を使っていられない。
 今行かなければ、秋子さんがどんな目に遭わされるのか解らないんだ。

 元からそう多くなかった人波が切れ、秋子さんの座っていた席には紙コップだけが残っていた。あれほど出していた玉も、従業員が運んでいってしまったようだ。

 パチンコで何十万も稼ぎ生活する人を、パチプロというらしい。
 儲けは大きいが、苦労も大きいのはよく聞く。そして、パチンコ店ではパチプロを見つけると、『や』のつく人達に引き渡して酷い目に遭わせる場合もあると。
 俺には、その『酷い目』が具体的にどんなものかは知らない。
 …嫌な想像が頭をよぎる。
 が、何れにしても、俺は秋子さんを追いかけなければならない。
 俺は、同僚と立ち話をしてる従業員を捕まることにした。
「すいません、さっきそこでパチンコ打っていた女の人、どこに行ったか知りませんか?」
 両方とも男だが、一瞬揃って俺の顔を見て戸惑う。
 が、片方がすぐに口を開いてくれた。
「店長が連れて行ったから店長室だと思うけど、あんた誰? 関係者?」
 少し躊躇ったが、緊急事態だ、自分の事情を話すのはやむを得ないと判断し、俺は自分の名を告げた。

「俺は相沢裕一、さっきの女性の家族です」


「秋子さん!」
 小綺麗な応接室は、観葉植物の緑も青く。
 ソファーに座った秋子さんがこちらを振り向く。秋子さんの前にある机机の上には、なにやら書類が束になって置かれていた。
(もしかして、何かの調書か契約書?)
 そう思うと同時に、身体が動いていた。
「祐一さん!?」
(調書なら秋子さんに不利なことが書かれていないか見て、誓約書だったら粉々に破いく!)
 俺は書類の束を掴むと、一枚目の一行目を急いで確かめた。
 …確かめた…。
 更に、確かめた…。
『有閑会館の経営について』
 どう確かめても、書類にはそう書かれていた。
「祐一さん、大事な書類だから返して貰えるかしら?」
 少し困ったような顔で、秋子さんが首を傾げる。
「水瀬さん、お知り合いですか?」
 戸惑いながら、先程の初老の男性が俺と秋子さんの顔を交互に見る。
「ええ、うちで預かっている親戚の息子です」
 何をしていたのかは解らなかったが、とりあえず自分はお邪魔だ、と言うことだけが、二人の視線から伝わってきた。
「あの、ちょっと秋子さんを見かけたから追いかけてきたら…」
「商店街からは逆方向のパチンコ店まで追いかけてきたの?」
 我ながら苦しい言い訳だが、それを秋子さんが容赦なく突っ込む。「…あうーっ」
「真琴ちゃんじゃないでしょう?」
 更に突っ込む。
「あのぅ、良かったら一緒に居て貰っては…?」
 おどおどと、男性が声をかけてくれる。
「そうさせて貰えると嬉しいです」
「そうさせて貰いましょうか」
 俺と秋子さんの声が重なった。

 程良いクッションの柔らかさと、落ち着いた木目調のテーブルが心和む。
「どうぞ」
 一筋の湯気を立てて、ミルクと角砂糖を添えられたコーヒーが目の前に置かれた。
 カップを見ても、主張を抑えたデザインが地味ながらも品の良さを醸し出している。
 受け取ったコーヒーを一口すすり、俺は秋子さんと店長の会話を眺めていた。
「先程の続きからですが、水瀬さん、あなたをお呼びしたのはその書類の通り、この店の経営のことです」
「経営ッ?!」
 俺はつい、大きな声を上げてしまった。
「知りませんでしたか? 水瀬秋子さんと言えば、この辺りでも有名な、パチンコ店専門の経営コンサルタントですよ」
「有名だなんてとんでもない。それにコンサルタントの資格も何も持っていませんよ。ただ、知恵を絞るご協力をさせていただいているだけで」
 秋子さんの言葉に、店長は少し大げさなくらい頭を降った。
「とんでもない! あなたのお陰で倒産寸前から立ち直り、今もなお勢力を伸ばしてる店をいくつも知っていますよ!」
 どうやら秋子さんは凄い人らしい。
 そして、秋子さんの職業も、これではっきりしたというわけだ。
「まぁ、話を続けましょう。
 この店は開いてまだ半年、新台も多く入れてあるし、店の立地条件も悪くない。ですが、見ての通り閑古鳥が鳴く店内です」
 そこまで一息に言うと、店長も自分のコーヒーに砂糖とミルクの両方を入れて、一息に飲み干した。
「社員教育もしてあります、台の釘も設定も他の店と大差ないはずです。なのに……」
 しばし息を止め、大きく吐き出すと、店長は突然テーブルに両手をつき、頭を擦りつけるように下げた。
「何が悪いのか、身内ではもう解らない状態です。噂で、パチンコのことはあなた様に聞くのが一番だと聞きました。悪い点があるならなおします、どうかご助力を!」
 店長の後頭の薄い髪を見やり、秋子さんは飲み終えたカップに付いた口紅を指で拭き取ると、静かな口調で答えた。
「判りました。でも、少々きついことを言いますよ?」
「かまいません!」
 普段でも、時たまその迫力を見せつける秋子さんだが、今回は今までとはまた別の迫力がある。
 コンサルタントという職業は、伊達ではないのだろう。
 働く秋子さんは、いつもよりかっこ良い。
「まず、先程も言われたようにほとんどは問題ないかと思いますから、入れる台を選んではどうかと。
 新台は客を満足させられない機種が多いですから、古いものも残さないと。新台を入れれば良いってものではありませんよ?」
 秋子さんの言葉に逐一頷いてはメモをとる店長を見ていると、秋子さんの家族であることに誇らしさを感じる。
 安心して俺は、お茶菓子を貪ることに集中することにした。

 その後、秋子さんはなにやら専門用語を使いながら話していたが、店長はそれらすべてをメモして、時たま質問していた。
 帰るときに、何かの包みと数枚のカードを渡してきて、何度も頭を下げてきた。
「そのカード、何ですか? プリペイドカードみたいだけど」
「プリペイドカードよ。これでパチンコの玉を借りることができるの」
 パチンコ屋に入ったことはあっても、あまり打つことはなかった俺には、珍しいものだった。
「そのカードで、どのくらい遊べるんですか?」
「どのくらい遊べるかは人によるけど、このカードを買うには一万円かかるわよ」
「ええっ!」
 目の前の薄いカードが一枚一万円、秋子さんの手元にはもう数枚ある。ということは、今日のアドバイスだけで秋子さんは数万円稼いだことになる。
「これ、換金するんですか? 秋子さんは」
「カードは換金して貰えないわ、パチンコで遊ぶしか使い道はないのよ」
 との秋子さんの言葉に少しがっかりしたが、昼間の秋子さんのフィーバーが脳裏に浮かび、試しに聞いてみた。
「秋子さんなら、これ一枚でどれだけ遊ぶんですか?」
「そうねぇ、時間だったら一日は遊べるし、お金を稼ごうと思うなら、二十万はいくかしらねぇ」
「やっぱり秋子さんはパチプロか!!」
 俺は思わず叫んだ。
「昔はそう呼ばれていましたけど、今は違いますよ。名雪も大きくなったし」
 思いがけないところで、秋子さんの昔の職業が暴露されてしまった。
「それよりも祐一さん、今日はどうしてあんな所にいたんですか? 学生はパチンコしちゃいけませんよ?」
「いや、それは、その、秋子さんを見かけたから後を追いかけただけですって」
「どこで見かけたのかしら」
 秋子さんの追求を苦しい言い訳でかわしながら、陽が沈んで薄く黄昏る振興地をのんびりと歩いた。
 だが、歩調とは違って俺の心の中は激しく乱れていた。
 俺の使命は果たした。だが…。
 秋子さんがパチプロ、だとすると俺は…。

 まだ半月より少しふくらんだ程度の上弦の月。その光の中に立つ秋子さんを、複雑な思いで眺めた。


 俺はまだ、迷っていた。
 秋子さんの作る夕食は相変わらず美味しかったし、メニューのチキンカレーも俺は好きだ。
 だが、心にはわだかまりが残る。
 どうして…? その理由は、自分が良くわかっている。秋子さんの職業を、依頼主に伝えなければならないからだ。
 伝えたら、どうなる? それも、俺は知っている。起こって欲しくないことが、起こると。
 だから、俺は迷い、考えあぐねていた。…そうしていられる時間が、短いことを感じながらも。

 ドアをゆっくり三回、それが名雪のいつものノックだ。
「どうぞ」
 予想通り、名雪が顔を出す。
「祐一、お風呂空いたよ」
 そう言いながら部屋へと入り込み、後ろ手にドアを閉める名雪を、俺はじっと見つめた。
 …俺は、まだ迷っていた。
 頼まれたとはいえ、名雪に秋子さんの職業を教えることを。
「祐一、お母さんと帰ってきたよね。何か判ったんでしょ?」
 黙ったままの俺の心を見透かすように、名雪は俺の顔を覗き込んでくる。まるで、心まで覗くように。
「…教えてくれないって事は、たぶん思った通りだったんだね」
 口を閉ざした俺に不敵な笑みを見せると、名雪はカーテンをずらして、ベランダを覗いた。
 ベランダの向こう側に見える秋子さんの部屋は、灯りが点いている。
「…ありがとう、祐一」
 俺の目の前を通りドアへ行こうとする名雪の手にすがるように、俺はその細い腕に手を伸ばしていた。
「名雪、止めよう。名雪だって、本気で…」
「本気だよ」
 俺の言葉を遮った名雪の瞳は、いつも以上に澄んで見えた。澄み切りすぎて、冷たいような。
「名雪…」
「私は止めないよ、お母さんと戦うことを」
 俺の手が名雪から離れると、振り返らずに名雪は部屋を出ていった。
「おやすみ、祐一」
 閉じたドアの音が、何かを告げているように感じた。
 いや、告げていたんだろう。母と娘の、戦いの到来を。


「お陰で大繁盛です、好きなだけ打っていって下さい」
 秋子さんのアドバイスの後、有閑会館のチラシが新聞に入った。リニューアルオープンとかで、サービスをするという内容だったように覚えている。
 今日はその期間から数日後、それでも店内は早い時間なのに以前より客が多い。
「店長さんと従業員さんが頑張っているからですよ。でも、今日は少し打たせて貰いますね」
 顔色の明るい店長を見てると、どれだけ良くなったのかがわかる。やはり、秋子さんは凄いのだ。
「でも、祐一さんは未成年ですから、まだ打っちゃダメですよ」
「判ってますって」
 秋子さんの言葉に、俺は強く頷いた。当たり前だ、今日ここへ来た理由はそんな事じゃないんだから。

 アナログ時計の長針が頂上を指す。店内に置いてある時計のからくりが働いて、人形が楽器を奏で出す。
 たしか、その時計を置くように言ったのも、秋子さんだった。パチンコ屋には主婦が来ることも多く、子供連れも多いから、子供が見て楽しめるものを置いた方が良いと言っていた。
(いよいよ、だな)
 小さな人形が踊りを終え、蓋の中へと戻っていく。その曲が鳴り終わり、扉が閉まると同時に、名雪はやってきた。

「え? 名雪…?」
 すでに足下にドル箱を数箱積んでいる秋子さんも、名雪の姿を見つけた。
 名雪は真っ直ぐこちらへ来る、秋子さんの元へ。だが、その顔にはいつもの笑顔も、どこか抜けたようなおっとりさもなかった。
 一定のリズムを刻む足音は、秋子さんの隣で停まった。
「名雪、どうしたの?」
 当然だが、不思議そうに見上げる秋子さんに、名雪は感情を失ったような冷たい声で一言、告げた。

「お母さん、わたしと勝負して」

 秋子さんの手が放れても、パチンコの数字は回り続けていた。


「良いですよ、少しくらいなら」
 店長の厚意で、背中合わせの島二列を一時間ほど貸し切らせて貰えることになった。
「未成年に打たせるのは本当は悪いんですが、景品は出さないって事で今回だけ特別にします」
 店長の言葉に名雪は頷いた。
「じゃ、三十分からスタート、一時間で終了、それまでに一万円分のカードでどれだけ出せるかの勝負です。カードの残りも出玉に換算して数えます。いいですか?」
「なんでこんな事になったのかが良くわからないけど、いいわよ、祐一君」
「わたしも大丈夫だよ、祐一」
 二人を島の端に並んで立たせる。
 島は何人かの従業員が出入り口を塞いでくれているが、何事かと覗いていく人はかなり多い。
 この島に置いてある台は、今日秋子さんが打っていた台とは別物、秋子さんのアドバイスで入れ直した、昔から人気の高い機種だそうだ。
 俺は腕時計を見た。秒針がカウントダウン圏内にはいる。
「開始!」
 秒針が頂上を指すと同時に、名雪がダッシュする。秋子さんはサンダルのせいか、それとも自身があるのか、ゆっくりと追いかける。
 名雪は走りながら台に近付いて、釘の角度を眺めて歩く。秋子さんも自分の台を見るポイントがあるのか、両側の台を軽く流すように見て歩く。
「ここ!」
 名雪は気に入った台に座ると、台に付いている挿入口へカードを入れる。ボタンを押すと貸し出された玉が自動的に出てくる。
「じゃ、わたしはここにするわ」
 秋子さんは名雪と一つずらして反対側の台に座る。

「二人とも、いい選択だ」
 店長が二人の様子を見て、感嘆の溜息をつく。
「どうしてそう思うんですか?」
「まずは選んだ台の機種を見てごらん」
 言われてみると、反対の列を選んでいるはずなのに打っている台は同じ機種。
 別の場所には他の機種が置いてあるのに、そこを二人とも通り越して今の席に座っている。
「あの機種は、一回当たると続けて大当たりしやすい機種だよ。短時間の出玉勝負で選ぶには良い台だ。それに、同じ機種でも大当たりが持続しやすい台を選んでる」
「大当たりしやすい台? 同じ機種でも違うんですか?」
 俺の質問に気をよくしたのか、嬉しそうに頷く店長。すっかり解説者気取りだが、実際いてくれないとわからないことが多いので、ありがたく話を聞く。
「同じ機種でも、マイナーチェンジはされてるんだよ。そのせいで、同じものなのに大当たりの仕方が違うものが出たりするんだ。
 まぁ、大きくは違わないが、あの機種はあの台に使われてるものが、一番短時間で大当たりしやすく、また大当たりが持続しやすい」
 ギャラリーがこっそりと後でメモを取っているのを見透かすように、大きく咳払いする。
「が、設定を変えれば当たりやすさも変わるがね。今日あの台は確かに当たりやすく設定してある台だよ」
 してやったり、と言わんばかりに口元だけで笑うと、更に話を続ける。
「うちでは一列に何台かの大当たりしやすい台を置いてあるんだ。やっぱり水瀬さんのアドバイスで、何だが。
 そうすると、派手だし人も集まるし、自分も出そうと客が打つ」
 言われればなるほど、秋子さんがコンサルタントとして呼ばれるのも判る。
 が、その秋子さんも、今座っている台がそうだとは知らないはずだ。
「この勝負、どうなりそうですか?」
「水瀬さんはその筋では有名な方だ、さすが運も強いらしい。だが一方、娘さんは止め打ちをマスターしているようじゃないか。さすが蛙の子…と言えるんじゃないかね」
 止め打ちくらいなら、俺でも知っている。
 無駄に玉を打ちすぎないように、打たなくて良いときには打たないでいることを、そう言うはずだ。
 台のグリップは触ってさえいれば玉が出るような仕組みになっていて、打つのを止めるためのボタンのようなものも付いている。
「ただ、あの止め打ちはうちでは嬉しくないですね」
「どうして?」
「そのタイミングでその場所へ玉が入ると当たる、という法則がある台もありましてね、あの台もそうなんですが。
 当たるタイミングだけで玉を打っていけば、無駄な出費を抑えて大当たりさせられるんですが、それをされるとうちは大損ですからね。…娘さんの打ち方は、その打ち方なんですよ」
 言われて見ると、秋子さんは普通に打ちっぱなし、対する名雪は、こまめに玉を打つのを止めている。

「これは、わからない勝負ですよ」


 俺は、詳しい事情は知らない。
 一人で買い物に出掛けた名雪が、小さな紙袋一つを持って帰ってきた日から、何かが変わっていったのだけは、覚えている。
 毎晩早く寝る名雪の部屋から、夜遅くまで灯りが見えるときも多かった。

「名雪、そろそろ教えてくれても良いでしょう? どうして、こんな事を?」
 半分振り向いて、秋子さんは名雪の背中に声をかける。
「…わたしは、お母さんの子だもん…」
「え?」
 名雪は、小さい声で呟いた。
 ギャラリーは抑えて貰ったままで、俺は二人の側に、まもなくやってくる終わりを告げるために座っていた。
「お母さん、伝説になるくらい凄いパチプロだったんだってね。弁財天って言えば、誰もが知っているって聞いたよ」
 名雪の言葉に、秋子さんの手が震えたのを、俺は見て見ぬ振りをした。

 名雪の話を、まとめるとこんな感じだったろう。
 名雪はパチンコのTVゲームソフトを買った先で、たまたま秋子さんの昔の武勇伝を教えて貰ったようだ。
 昔、七人のパチンコの達人がこの街周辺には住んでいて、パチンコを打ち者からは尊敬とあこがれの、店を経営する側からは憎しみの目で見られていたそうだ。
 その七人に、もちろん結婚する前の秋子さんが加わっていた。更に、同じく名雪の父親も名を連ねていたそうだ。
 秋子さんには、『弁財天』の呼び名が付いて、それなりの物語がいくつかあったらしい。その物語の中に、名雪の父親との出会い、恋愛もあったんだろう。
 名雪には、その話はショックだったらしい。
 親がギャンブルで生活していたこととかよりも、そう言った話を娘である名雪が一つも知らなかったことを。
 それは、名雪にとっては自分が、秋子さんにとって話をするに値しないと思われたように感じたのだろう。
 秋子さんに認めて貰うために、そして自分が二人の子供であることを自分で納得するために、今日のことを考えたらしい。

「こんな事をしなくても良かったのに」
「ううん、するの。わたしは、お母さんと…お父さんの子だもん」
 二人の出した玉が入ったドル箱を、従業員が持ち上げ、球数を数える機械へと流し込む。
 どちらも同じ五箱、店長曰く常人ではそう出せない数だそうだ。
 店長は今頃きっと、名雪の方には景品を出さずに済んで一安心している頃だろう。
 最後のドル箱が持ち上げられ、玉が勢いよく流れる。
 機械の上の方に玉の総数が表示されるが、打った当人達には見えないように隠す。
 出玉総数を書いたレシートが吐き出され、俺はそこに預かったカードの残りを玉に換算して書き足す。
「言わなかったのは、もっと先になってからで良いと思ったからよ?」
「そんな先にしなくて良い、わたしはもう、充分大人だよ?」
 俺は、レシートを見比べる。
 勝負は…ついた。
「名雪は、この勝負に勝ったらどうして欲しいの?」
「わたしは…お母さんに、もっとたくさん昔のことを教えて欲しい。でもそれ以上に、『弁財天の娘』にふさわしくなりたいの」
 俺は、二人の前に立った。
「結果は、こうだよ」
 俺は手のひらを差し出し、中のレシートを二人に見せる。どちらが誰のかは、名前を書いたので判るはずだ。
「差は…五百。煙草数箱分だそうだ」
 その数字を見て驚いたのは、名雪だった。
「どうして? どうして私が…負けるの?」
「俺にだって不思議だったよ」
 しがみついてくる名雪を支えるように抑えると、そのままソファへと連れて行く。
 名雪の目は、赤く。それが今まで見たことがない瞳で、尋常でないような印象を受けた。
「どうしてなの? 毎晩、一番効率的な打ち方を研究してきたのに…」
「それはね、名雪。あなたがスタートチャッカーにしか注意していなかったからよ」
 缶ジュースを持って、秋子さんが名雪の隣に座る。
「だって、そこに入れていればルーレットはスタートするもん…」「確かに、そうね。でも、パチンコの台には、他にも入れれば玉がでてくる場所もあったでしょう?」
 諭すように言いながら、秋子さんが名雪の頭を撫でる。そうされるにつれ、名雪が俺にしがみついていた力が抜けていく。
「あ…チューリップ…」
「そうよ。名雪はそこへ、あまり入れていなかったようね」
 名雪は俺から離れて、秋子さんの胸に顔を埋めた。
「わたし、忘れていた…っ」
 優しく、ゆっくりと頭を撫でて、秋子さんはいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「良いのよ、それでも名雪は、パチンコを打つのが上手ね」
「お母さん!」


「秋子さん」
 一回名雪を家に送ってから、俺と秋子さんはもう一度有閑会館へ戻った。
 勝負をはじめる前の玉を景品に交換していなかったからだが、結局また秋子さんが打ち始めた。
「何ですか、祐一さん」
 先程までの勢いには及ばないが、それでも足下にドル箱は三つ、1日のトータルでいくつになるかは考えたくない。
「結局、名雪に襲名させないんですか? 弁財天の呼び名」
「もう、古い呼び名よ。それに…」
 秋子さんとの話の途中で、俺の肩を誰かが叩いた。
 振り向いたが、見知らぬ他人。だが、人の良さそうなおじさん。「よ、兄ちゃん。さっきの姉ちゃんはどうした? そこのかぁちゃんも凄かったけど、姉ちゃんも凄かったよな〜」
「はぁ…」
 返答に困っている俺を、秋子さんが助けてくれた。
「あの子は帰ったわよ」
「じゃ、あの姉ちゃんに会う機会があるんだったら、また来いって伝えてくれや」
「ええ、判ったわ。伝えて置きますからね」
 何度も頷いて、その男は去っていった。
 初対面なのに、やたらと親しげな口調だったなぁと思い返しているところへ、
「驚いた? パチンコを良くやる人にはああいう人が多いのよ」
 と、秋子さんが声をかけてくる。
「呼び名なんて、ああいった人達がいつの間にかつけてくれるわ。だから、襲名なんていらないのよ」
 秋子さんは、何でもお見通しなのかも知れないなぁと思いながら、俺は一つだけ尋ねた。
「秋子さんは、どうしてそんな呼び名がついたんですか?」
「わたしが、大当たりすると良く周りの人に飲み物をお裾分けしていたからよ。貰った人は相当嬉しかったんでしょうね。
 名雪のお父さんは『大黒天』なんて呼ばれていたけど、どんなに当たらない台も、お父さんが座ると出たからなのよ。
 呼び名なんて、凄そうな名前ほどいい加減なものなの」
 嬉しそうに笑う秋子さんに、俺は心の奥が暖かく満たされるのを感じた。


 今現在、有閑会館は他県にも支店を出すほどしっかりした店になった。
 もちろん、秋子さんのアドバイスと働く人達のお陰なんだろうけど、有閑会館が大きくなったのには、もう一つ理由があると、俺は思っている。
 その店に行く人が、噂しあう話。
 噂は人の口を伝って、この小さな町に広がる。

 そして、伝説は出来ていくのだろう。

 名雪は今もゲームでパチンコをやっているが、流石に最近は夜更かしはしなくなった。
 いつか名雪もパチプロになって、秋子さんのような物語を作るのかどうかは判らない。
 『弁財天』の名前が、誰かに引き継がれる日も、来るかどうか判らない。
 ただ、一つだけ確かなことはある。
 …俺は、パチンコが好きになった。