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Venus Venus
これはコミコミねっとで行われた
「コミコミストーリー」に応募した作品の
修正版です

 優雅な足取りで後ろに下がると同時に、宙にふわりと長髪が舞う。
「ふふっ、そんな剣をいくら振っても意味はないわよ、剣士のぼうや」
 女は唇からそう言葉を漏らすと、僅かに身体をそらす。女の頭上を狙い振り下ろされた刃は、紙一重で菫色のドレスをかすめ空を切る。
「俺にはジェイル・バーストーンって名前がある。それに安心しな、その身体はこの剣で必ず切り割いてやるからな」
 その身体より大きな刃を持つ剣の柄を握り、体制を立て直しながら男…ジェイルは女を睨んだ。




 山腹の洞穴内を拡張して建てられたその神殿は、誰にも気付かれずに幾百の時を過ごしてきた。…ほんの数時間前までは。
 誰も訪れることの無かった神殿への、久方ぶりの来訪者はどうにも騒がしい。
 だが、騒がしいだけの理由があった。

 この神殿は奉る人が滅びた神殿。時を司る女神を奉るための神殿。
 …時の女神の恩恵と強大な魔力を持った民は、永遠を手に入れようとし…過ちを犯した。
 自分たちの時を止めようとして、命まで止めてしまったのだ。
 石像のようになった人々は、二度と動くことのないまま風化し消え去った。

 神殿は奉られる女神の力故か、変わらぬ姿を保ち続けた。だが、その存在を伝える者は少なく、またその力を頼る者も減ってしまった。

 しかし今再び、その力を必要とする者が現れたのだ。
 同時に、それを阻止せんとする者も。

「ジェイル坊や、そんなに粋がっても私にはかわいらしいとしか思えないわ。
 だって貴方は、『女神』と謳われた大陸随一の魔力を持つ女性の一人子でありながら、魔力を殆ど持っていないんですものね」
 その言葉にジェイルの大剣がうなりと共に振り下ろされる。
「こっちに無駄口を叩く趣味はないんだよ、『おばさん』」
 ジェイルの言葉が終わると同時に、はらりと女の碧緑の髪が一房、ドレスの裾に散らばる。
「…そうつれないことを言わないで、ジェイル。貴方は姉さんの子、私にとってたった一人の甥なのよ。
 年寄りの昔話くらい、聞いてくれても良いでしょう? 『坊や』」
 ジェイルは構えを解かずに、そのまま女を睨んだ。女の真意を測りかねるが、今のジェイルに科せられた事と、また心の中に蟠る好奇心と疑問とが女の言葉を受け入れさせた。
 今は少しでも時間を稼ぎたいのだ。
 この神殿の最奥の部屋で、時の女神を呼び出す儀式を執り行っている少女、自分の守るべき相手ラッテの為に。



 大陸を駆ける狼、風を連れる剣士、…それらがここ数年の冒険でジェイルが手に入れた二つ名だ。
 その名を聞けば若い娘は瞳を潤ませ、小賢しい悪党は舌打ちをし、正しくある者はその武勇譚に期待を膨らませる。
 それだけの名声を馳せる事に成功したジェイルは、ここで里帰りを思い立った。
 ジェイルが冒険の旅に出たのは三つの目的があった。
 一つは、自分の右目にある傷と共にある癒しがたいトラウマの克服。
 二つ目は、あまりにも高名な母を持つが故の七光りと偏見からの脱出。
 そして最後に、自分が持つ可能性への挑戦として。
 まだ幼いジェイルが、母の行う儀式でも最も簡単な物を真似て呼び出した風の精霊の眷属は、召喚主の顔に傷を付けてどこかへと消えてしまった。
 傷の痛みと、自分に忠実であるはずの精霊からの攻撃に、ジェイルの心には根の深い傷が付き、それは魔法を使う事への嫌悪となった。
 望む望まぬに関わらず心の傷は母の名声が更に深くし、それ以来、大魔法使いの一人息子は魔法が一切使えなくなったのだ。

 …魔法が使えないのなら、魔法以外で母と並び、越える存在になろう。

 そう思い、ジェイルは家の奥にしまわれていた大剣を持ち出して、書き置きを残して旅立ったのだ。
 自分が生まれて間もなく父は雷にうたれて死に、それから女手一つで自分を育ててくれた母に、少しは逞しくなった自分を見せたいとも思った。
 懐かしい風の吹く、勝手を知る街を抜け、そのはずれにある緑の建物の扉を開け、名乗りを上げる。
 そのジェイルの声に奥から浅緑の髪を揺らして走り出てきたのは…どう見ても年の頃10代前半の少女だった。

「…というわけで、ジェイル君、この人は間違いなく君のお母さんだよ」
 数多くいた母の取り巻きでも特に熱心だった男が、戸惑うジェイルに向かって安心したように事情を話した。
「じゃ、この子どもが、俺の…?」
「ああ、そうだよ。大陸の大魔女、『女神』ラッテ・バーストーンだ。…そりゃ、この少女が50歳近い君のお母さんだと言われても納得できないかも知れないが」
 足の届かない椅子に座って、炭酸の木の実ジュースを飲み干す少女を目の前に、ジェイルは何を言えばいいのか判らなかった。
 透き通る白い肌、明るく光を照り返す浅緑の髪、明るい榛色の瞳は輝き、額についている小さな文様は確かに母にもついていた。
 外見の特徴はすべて記憶の母と一致するが、あまりの幼さと…。
「何を迷っておる。妾は間違いなく母であるぞ。若返ったとはいえ、息子であればそのくらい判らぬのか」
 どこでどう育って覚えたのか判らない、母が使っていなかった言葉遣いに、ジェイルの思考は目の前の少女を母と認識するのに多くの時間を要した。
 それ以前にジェイルが、自分の親が小生意気な幼女になったと思いたくなかったというのも、理解までの時間を引き延ばす原因になっていたが。


 話によれば、次のようなことらしい。
 自分が里帰りをする数週間前、母は前代未聞の大魔術を執り行った。
 その魔術は、成功すれば魔力と記憶を今のままに、身体だけを若返らせるはずだった。
 そう、『成功すれば』。
 世紀の大魔術が成功する瞬間を見ようと、たくさんの人が押し掛け、その数多の瞳の前で……。
 術は、失敗した。
 確かに若返りはした。
 だから誰もが成功した物と信じた。
 だが、若返った大魔女、ラッテは年令と共にいくつかの記憶と、大部分の魔力を失っていた。
 魔術に失敗し、魔力を失い、まして高慢な物言いをする子どもになってしまったラッテから、取り巻いていた人々が離れるのに時間はかからなかった。
 そして、最後の一人が世話役として辛うじて残っているところへ、ジェイルの帰還となったという。

「で、元に戻る方法とかはないんですか?」
「いや、あることにはあるらしいんだけど…」
 ジェイルの問いかけに男が口ごもると、代わりに少女が言葉を続けた。
「妾が使った魔法は、『時の女神』の力を借りて行った物だ。摂理に逆らう魔法ゆえ、小さな事柄が大きく関わりこのようになってしまったのであろう。
 理屈的にはさらに、妾の歳月と共にその間に培われた魔力も何処かへと一時的に移動してしまったと考えるべきじゃろう」
「歳月と魔力が移動?」
「うむ、つまり、何か強力なマジックアイテムや歳月を経た神仏などに、妾の魔力や年令が移ってしまったのではないかと言うことだな」
 こくりと小さく喉を鳴らしてジュースを飲むと、ラッテは満足げに微笑んだ。
「なぁに、簡単な事だ。妾の魔力がどこへ行ったのかは、力を借りた時の女神に尋ねれば判るはず。
 うまくいけば、そのまま魔力を見つけて貰って返して貰うことも出来るはずじゃ」
 自信満々に胸を張るラッテにジェイルはつい、その魔力を取り戻す事柄が簡単なような錯覚を覚えてしまった。
「じゃ、早速その『時の女神』とやらを探し出そうぜ。魔法が使えたって事は存在してるんだろう?
 俺が護衛してやるから、さっさと元に戻っちまおうぜ」
 ジェイルとラッテの旅は、そこから始まった。



 ジェイルが自分の言葉に後悔をしたのは、時の女神の神殿がどこにあるか判らないと聞いてからだった。
 それから長い旅を続け、時にはラッテから思いもがけない事実を聞かされ、また時には襲いかかる凶暴な野生動物を撃退し、立ち寄った街の依頼をこなして人助けをしてみたり、古い遺跡の謎を解いたりと、かなり内容の濃い日々を過ごしてきた。
 ようやく辿り着いた神殿は、人目を避けるような険しい山の中腹に存在していた。
 早速ラッテは儀式の準備をし、ジェイルはその警護に回ったところへ、突然の意外な来訪者が訪れ…今に至ると言うわけだ。



 来訪者のタイミングの良さ、外見ににつかぬ身のこなし、謎めいた発言、そして何よりもジェイルにとって気にかかっていたのは、その風貌だった。
 血の気の引いた青ざめた肌に際だつ紫の唇は形良く、緩やかにカーブを描く碧緑の長髪、色の濃い瞳は知性を匂わせ、額には母と同じ文様がついている。そして二十代前半としか見えないその身体は、ジェイルの母が若かった頃の美貌そのままなのだ。

 何故邪魔をするのか、何故母の若かりし頃にそっくりなのか、何故こちらのことを知っているのか、ジェイル自身も女にたいして幾つもの疑問を抱いていた。
 そして、ラッテの儀式が終わり魔力を取り戻せば、いくらジェイルの剣から逃れることに長けていてもこの女には勝ち目はないだろう。
 そう踏んだジェイルは、女の言葉を促した。
「聞いてやるから、話すだけ話してみろよ。それが最期の言葉になる覚悟を持ってな」
「うふふ、血気盛んなのね。若いって素敵よ」
 抑揚の少ない声で、表情の少ない顔で、女は言葉を続ける。
「さすが、私の甥ね。わかる? 私は貴方の母、ラッテ・ラ・セルカの双子の妹、ティラ・セ・セルカ。
 初めまして、って事になるのかしらね」
 その言葉にジェイルの構えが崩れなかったのは、名を馳せるほどに積んだ経験の賜だった。
「お袋の双子の妹? バカを言うな、どう見ても年齢差があるじゃないか」
 ジェイルの言葉に、その女・ティラは小さく唇の端を上げる。
「あらあら。想像力は少ないのね。
 ラッテは今、私よりも幼い姿なのでしょう? 私もある魔法を使って、こんな姿になったの。どんな魔法か判る?
 不老の魔法よ」
 ティラの腕が大きく動くと同時に、ジェイルはその腕に向かって大きく踏み込んだ。
 手応えと同時に服が裂け、肉も割け…。
 だが、その傷口からは一滴も血液が出なかった。
「なに!?」
「そう、私の魔法は失敗だったの。確かに不老にはなったわ。
 でもね、私の身体は死んでしまった。動く死体…『リビング・デッド』になってしまったの」
 ティラは無造作に傷口を掴むと、小さな詠唱と共にもう片方の手をかざした。
 手の平から光りが漏れ、見る見るうちに傷が癒えていく。
「でも、私たちの祖先は生きることさえできずに滅んだわ。それに比べれば、私は素晴らしい魔力の持ち主だと判るでしょう?
 そう、本当なら…私こそが『女神』と呼ばれるにふさわしいと思わない?」
 完全に傷口のふさがった腕を撫で、ティラは冷たい眼差しをジェイルに向ける。
「…それがあんたの狙いか」
「そうよ、知らなかった? 私たちの一族は、滅びた古代魔法王国の末裔。その長は私かラッテがなるはずだった。
 …いいえ、私がなるはずだったのよ。なのに、ラッテが姉だと言うだけで選ばれた。私はこれほど優れているというのに!」
 ティラの髪が大きく揺れた。間合いをつめてくるティラにジェイルの足は後ろへと下がる。
「だから、みんな殺したの。折角街の凍結から皇家の血を逃がして助かったのに、私を選ばないから死んだの。
 ラッテにだけは上手く逃げられてしまっていたけれど、ラッテの大事な夫は私の魔法で死んだわ。
 そして、今こそラッテも殺してあげるの。
 だって、一人じゃ寂しいでしょ?」
 美しい、だが青ざめた顔に、一際輝く瞳に陶酔の色が宿った。
 それ見たジェイルの背筋を冷たい物が走る。

 狂っている…。目の前にいる美しい女は、力に飲まれて、狂っているのだ。

「それなら俺は…あんたを止める!」
 すでにだいぶ下がったジェイルは、もう一度体制を低くする。
「無駄よ。貴方は気が付かなかった? ここがどこだか」
 その言葉にジェイルは隙無く辺りへ視線を巡らせる。
「ここは…何でっ」
 ジェイルは小さくうめいた。
 その場所は先程まで戦っていたところではなく、いつの間にかラッテの儀式を執り行ってる部屋の前だった。

「さぁ、久しぶりに会えるわ、姉さんに」

 ジェイルの阻止よりも早く、ティラの手は扉へ伸びた。

 扉が開け放たれた先には美しい女性が立ち、菫色のドレスを翻えした。
「……ねぇ、さん……?」

 ティラの瞳が、驚愕で開かれた。
 たたずむ女性の瞳と、ティラの視線がぶつかる。
「…過ちを、繰り返したのですね」
 凛と澄んだ響きに、ティラは身動きできなくなっていた。
「嘘…なんで…? 儀式に必要な時間は膨大なはず…まだ途中の筈なのに…っ」
 驚愕するティラにもう一度、その女性は声をかける。
「私の愛し子よ。永遠は苦しみだと…知らなかったのですか?」
 姿形は若い頃のラッテそのままだが、慈愛を含んだ声は年令を超えた奥行きと広さがあった。

 ティラの逡巡…その隙は一瞬だった。
 だがその一瞬が、勝敗を分けた。
 意識をティラに向けたままのジェイルは、好機を物にし…。
 ジェイルの剣は、ティラの額の文様へと突き刺さったのだ。
「死んだって、頭を潰されたら終わりって言うのがお約束だよな?」
 力を込めて押した剣を、ジェイルは一息に引き抜いた。

 断末魔の叫びには、神殿に反響して大きなうねりを生んだ。



 青い空、背中に背負う剣の重さに、ジェイルは息をついた。
「なんじゃ、もう息が上がったのか」
「いや、そうじゃないけどさ…」
 目の前の少女を見て、ジェイルはもう一度溜息を付く。
「なんで、そのままなんだ? 時の女神を呼び出せたんだろう?」
「うむ、だがこの姿での旅は楽しくてな。魔力は返して貰ったんだから良いであろう」
 ジェイルは3度目の溜息を付いた。
「まぁ、色々あったけどな。まさか女神自身がお袋の魔力と年月を預かっていてくれたとはな」

 結局。
 ラッテの魔力はその儀式に呼び出された女神の元へ行ったのだそうだ。
 もとより一族の母、姿がラッテに似ていたのは当然であろう。そして、「時の女神」がどれほどの時間を預かっても変わることなど無いのだ。

 真っ直ぐに来た神殿で、求める物をすべて手に入れて、一時は寂しさを感じたジェイルだったが直後のラッテの言葉につい頷いたことを、今では深く悔やんでいる。
 その言葉とは、
『のぅ…ジェイル。もう少し、二人で旅を続けぬか?』
 だった。

 向かう先の空の彼方に、輝く星を見つけた。
 これから明けゆく空に輝くその星は金星だ。
「また、一緒に行こうではないか。…それが妾の、母としての願いだったのだから」
 そう笑うラッテのの笑顔は、多分史上最強だったろう。
「あんたは無敵の『女神さま』だよ」
 ジェイルは呆れてそう呟いた。

 その向こうで輝く金星だけがそんな二人の前に続く道を照らしていた。

END