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VENUS Venus
これはコミコミねっとで行われた
「コミコミストーリー」に応募した作品を
アレンジしたものです。

 黄昏時は心の闇がもっとも強く人を別の道へと誘う。
 甘い誘惑にその手を取られた者は、振り向くことなく人の尊厳を捨て私利私欲へと走る。
 あるものは盗賊となり同胞を殺し、奪う者へ。
 あるものは魔の力に走り、すべてを手中に収めることを夢見る。
 それらの者は誘惑を振り払い生きる者には害悪であり、生を脅かす存在だ。

 長い歴史の間に幾つもの栄華と衰退を重ねたその大陸は、未だ統治する者を持たず疚しき者達と魔の生き物が蠢いていた。
 と、同時に。
 それら闇を払う者達も、大陸のそこかしこで名を馳せていた。

 魔法と剣が人を守り、人を助け、人を傷つける世界。

 これはその世界を駆る若き剣士、ジェイル・バーンストーンの物語である。



「いやぁぁあぁ−−−−−−−−っ!」

 叫び声は、悲痛なまでに長く森の中に響いた。

 か細い体躯の少女達は、手を握りあって枝の隙間を抜け、暗い森を奥へと走った。
 少女達を庇うように走る御者とおぼしき男性が続き、その後をやや遅れて大男の二人組が枝をなぎ払いつつ追いかける。

「お姉さま、おねぇさまっ」
「黙って走るの! 走らないとっ」

 背後に迫る足音に、狂ったように幼い方の少女が声をあげる。

「うあぁっ!」

 大男の片割れが振り下ろした斧が、辺りの小枝と共に御者の背中を切り裂く。

「ダメ、振り向いちゃ!」

 御者の叫びに足を止めかけた妹を叱咤し、更に姉は前へと走った。

 姉妹であろう少女の服には、今切り裂かれた御者の血しぶきが届いていた。その飛沫の紅さが、少女の目の端に映り不安を増幅させる。
 普段は気丈に振るまう姉も、この時ばかりはすがりついてくる妹にかける言葉が思いつかず、ただ震える細い指を掴むばかりだ。
 妹の手に触れる自分の指を見て、そこにはめられた指輪は父親が誕生祝いに買ってくれたことや、そのときに母親が焼いてくれたケーキの味が姉の頭をよぎる。

(…走馬燈って、本当にあるんだ…)

 僅かに意識を逸らした瞬間、姉のつま先が木の根に当たって姉妹の身体は目の前の藪へと投げ出された。
 身を起こそうと顔を上げた先には……。
 小池が広がっていた。
 振り仰ぐとすでに、大男達は藪を押しのけ、狩猟の勝利者特有の笑みを浮かべてこちらを見ている。

「女ってのは年を喰うとどうにもできないが、若い分にはいくらでも使い道があるからありがたいよな」
「ああ、若いのがいいって言う好事家もいるし、何年も身体で稼げるからな。それがいきなり二人も手にはいるなんて、今日は良い日だ」

 男達の話し声もはっきりと聞き取れるほど、距離は近付いていた。
 覚悟を決めた姉は、それでも妹を身体とドレスで庇うように覆い包んで抱きしめ、固く固く瞳を閉じた。

「さぁ、俺達のお姫様。ナイトが迎えに上がりましたよってな」
「ナイトって面かよ、化け物顔が」

 下卑た笑い声と共に毛深い指が少女の袖へと伸びた。
 無骨な手が陶磁の肌に触れようとした刹那、凛と澄んだ声が、その行為を中断させた。

「本物のナイトがどんな顔をしてるか、教えてやろうか」
「なにっ?!」

 男共が振り向いた先に立つのは、長身の若い青年。
 ざんばらに短く切った黒髪と、背負った厳つい長剣、左の瞼にかかる大きな痕が印象的な青年だった。

「はっ、片目でナイト気取りか。邪魔する気なら容赦しねぇぜ!」

 言い終わると同時に、御者を裂いた斧を構えて片割れが青年に突進する。
 が、青年に斧を振り下ろした次の瞬間、大男は頭から池の中に突っ込んだ。

「なっ」

 青年の足が男を引っかけ、体制が崩れた隙に池の中へと突き飛ばしたのだ。
 だが、動きが早すぎて突き飛ばされた本人にも何が起こったのか判らなかった。

「おいおい、俺はまだ何もしていないぜ。勝手に池の中へ飛び込まないでくれよな」
「てめぇ、何しやがった!」

 もう一人の男が、青年が池の中に転げた男に向いている隙に、腰につけた鉈を抜いて躍りかかる。

「馬鹿だよなぁ」

 青年は振り向かず、身体を捻って鉈を避け、そのまま男の背中を突き飛ばして池の中へ放り込んだ。

「馬鹿さ加減を思い知らせてやるぜ。
 …ラッテ! 今だ!」

 呼びかけに答えるように、厚い雲に覆われていた空が瞬き、青年に何か言おうと見上げた男達の目をまばゆい光が眩ませ、同時に…。

 大音響と共に男達の武器めがけ、天より雷が駆け下りた。


 身体を突き抜ける痛みを堪え、男達は池から這い上がった。
 足はいうことを聞かず、太い腕も身体を支えるに至らなかった。

「加減してやった、一晩そこで寝ていれば痛みも痺れも取れるであろう」

 男達が顔を上げると、手近な木の上に今まで見たことのない少女が腰掛けているのが見えた。
 先程まで追いかけていた姉妹よりも幼く見えるが、緩やかなカーブを描く豊かな緑髪に澄んだ眼差しが気品を漂わせていた。

「ゆっくり休むがいい。そしてもう、この娘らには手を出すでない」

 そう言うと少女は小さく何かを唱え、紅葉のような手を男達へと向けた。
 文句を言おうと男達は口を開けたが、声が発せられることなく男達の意識は深い眠りへと落ちていった。

「あなた達…は…?」

 全てが終わったことを悟った姉が、ようやく口を開いた。

「俺の名前はジェイル。ジェイル・バーンストーンだ。
 …ちょっとは有名だと思ってるんだけどな」

 姉の記憶に、その名前があった。
 名前と同時に、通り名の記憶もあった。
 鮮明に記憶が浮かぶと同時に、姉はより妹を強く抱いて、絶叫した。

「大陸を駆る子連れ狼、幼女喰いのジェイル・バーンストーンッ!」

「幼女喰いじゃねぇぇぇぇっっ!」

 かくて。
 昼なお暗い森の中、二つの叫びが静寂を破り、木霊していた。
 
(続く)