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雨の降らない午後には
 いつの間にか、雨が降り出していた。
 身体が冷えていくのは、雨のせいなのか、涙のせいなのか。
 滴る雫が広げる波紋は、ぶつかり合い小さな波となって水面で揺れる。
 わかっていることは、ふたつだけ。
 目の前で、人が消えたこと。
 消えた相手を、自分は好きだと言うこと。

 重く立ちこめ黒い雲がもたらす雨の中で、私の気が遠くなったのは、何のせいだったのだろう。



 青い空がよく見える公園。
 …いつから通うようになったのかを思い出せない場所。
 今日もベンチで、山葉堂の紙袋を開ける。袋越しに伝わる温もりは、心を躍らせる。
 私の長い髪を編むことに夢中な少女。一つ下の後輩、上月澪さん。
 …いつ何がきっかけで知り合ったのかを思い出せない人。
 でも、その一生懸命な姿は、見ているだけで微笑ましい。

 どうして、私は覚えていないんだろう?
 この子との出会いを。

「茜ーっ! ジュース買ってきたよー」
 高台の小径を走りながら、缶ジュースを持ったままで手を振る幼なじみ。どこか飄々とした友人、柚木詩子。
「詩子、そんなに振ったらダメです」
 そのまま、石の階段を駆け下りて来る。
「大丈夫、このくらいだったら」
 根拠のないセリフを口にしながら、息を切らせて走り寄る。
「茜、一応言われたのがあったから買ってきたけど、本当にこれで良かったの?」
 独特なデザインの缶が、目の前の机に置かれる。
「おいしいです」
「ま、人それぞれだけど。澪ちゃんはグレープフルーツで良かったんだよね?」
 私の髪を離して、少女は大きく首を縦に振る。編んだ髪を、急いで括って。
 もう一つの缶がすぐ横へ置かれると、彼女は嬉しそうに手に取る。
「はぁー、一仕事した後の一杯は美味しいわね」
 私の隣の席に腰を下ろすと、詩子は自分のコーヒー缶の蓋を開ける。
 そのまま美味しそうにくっ、と飲む詩子の横顔と、自分の目の前に置かれたジュースを見比べる。
 上月さんも自分のジュースの蓋を開けて、こくこくとのどを鳴らしながら飲む。
 そして、私は視線を目の前のジュースに戻す。
「ん? どうしたの? 茜」
「…詩子が開けてください」
 詩子の笑顔が固まる。額から、一筋の汗が流れていく。私はもう一度、その言葉を口にしてみる。
「詩子が、この缶の蓋を開けてください」
 くるりと、反対方向且つ空の向こうを見上げて、
「今日もいい天気ね、茜」
 と、ごまかす。
「曇っています」
 いつの間にか青空よりも雲の割合が多くなった空を、私も見上げる。
「そ、そうかな?」
 振り向いた詩子の手からコーヒーを引き抜くと、すかさず私の缶を持たせる。そして、缶の飲み口をハンカチで拭き取ると、素早く残りを飲み干す。
「あっ、コーヒーがっ!」
「私の分、あげます」
 私の手の缶からは、振っても何の音もしない。
 詩子の手の缶は、ずっしりと重いはず。
「…いいよ、返すよ、これ飲みたくないし…」
「美味しいです」
「いや、でも…」
「この缶、振ったのは詩子です」
 観念したように詩子がプルタブに手をかける、と同時に、私は上月さんを抱いて素早く屈んだ。

「ひゃあぁ〜!」

 予想通り、缶からは中身が吹き出て、詩子の顔とそのまわりに飛沫を散らせていた。

 その後は、いつも通りに。
 元気に笑う友人と、嬉しそうに笑う後輩と。
 二つの笑顔に囲まれて、笑う自分と。

 そんな時間があったから、私はその場所にいられた。
 心だけは、黙りこんだままで。