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乖離
原案・でくの 文・水橋真琴


「阿栖殿、見えました」

 物思いから再び我に返った阿栖が顔を上げると、副官が指さす先に邸が見える。
 あれが、今度の邸か、と再びうつろな頭で考える。
 
「……前より広いか」
「そうですね。……少し掃除が必要でしょうが」
「手下がいるな」
「手配いたします」

 再び、歩を進める阿栖と副官。
 道は一本しかなく、その邸に吸い込まれるようにのびている。

「……なぁ」
「は」
「民草はあまり歓迎してくれてはいなさそうだ」
「……と、申されますと?」
「邸はあれているし、道も畑も決して良い状態ではないな」
「……はい。先日の大風と大雨のために、田も畑も被害が著しいと聞いております」
「なるほどな」

 一苦労ありそうだ。
 そう思って、阿栖がゆっくりと邸の門へと近づいていく。
 ふと、人影がうずくまっているのが目に入る。

「……何者だ、これは」
「存じません」

 副官が簡潔に答えを述べる。
 浪人のようであるが、太刀を持ったところを見ると武芸者なのかもしれない。

「これ」

 阿栖が身をかがめて声をかける。
 一瞬、副官が止めに入ろうとしたが、男は殺気も放たずゆっくりと顔を上げた。

「……あ?」
「ここで何をしておる」
「寝てるんだ」
「ふむ」

 顔をあげて副官を見上げる阿栖。困った顔をしたまま何も答えない副官。
 
「……俺はこの邸の新しい主なんだが。ここで寝てられると入れない」
「なるほど」

 身を起こし、ゆっくりと身体についたほこりを払い落とす。

「……それは申し訳なかった。ちょうどよい、雨風をしのげるところがほしかったのだがこの邸は無人のようでね。仕方ないから軒先を借りていた」
「そうか。ところで、俺は藤森阿栖という。貴君は?」
「名は……そう、柳也だ。見ての通り無宿の者だ」
「良い太刀をお持ちだな」
「うむ?」

 腰の太刀を一瞬見てから、にやりと笑う柳也。

「これは数うちの安物だよ、阿栖殿。見たところ武芸はあまり得意という訳ではなさそうだ」
「あ、ああ」
「兵部の人間だと思ったが……。見立て違いか?」
「それは間違ってはいない。だが、もう太刀も矛も手にしていないな。久しく」

 磊落に笑いながら、何も獲物を持たぬ姿を恥じるように身を少し引いた。

「だが、人を率いる人としては申し分ないな。あんた、俺を雇う気はないか?」
「貴君をか?」
「ああ。自分が太刀をふるえなくなったのなら、太刀をふるえる人間を側に置くという考えはどうだ?」
「悪くないな」
「阿栖殿!」

 副官が止めに入る。

「意気投合するのはご自由ですが。私の意見は聞いてくださらないのですか?」
「ああ、いいだろ?」
「…………」

 ややふてくされたような顔で、副官が頷く。
 
「まぁ、手は必要ですゆえ。地元の者達と親しいようなら、役にも立ちましょう」
「そいつは任せてくれ。ほら」

 そういいながら、懐から大きな丸い何かを取り出す。

「……なんだ、これは」
「俺の飯さ。地元の娘が、作ってくれたんだが………どうにも量の加減の下手な娘のようだな」
「……………」
「ま、そんな訳で。よろしく頼むよ、阿栖殿」
「あ、ああ、よろしく頼む」


 柳也は驚くほど才知に長けていた。
 最初の印象は武芸者であったが、他人の気持ちを理解する点で優れており、そのため地元の民草との折衝はおおかた柳也の手によるところになった。
 
 それでも、訪れた都人への反感は押さえがたく、治安はいっこうに良くならない。
 4人の手下を入れて、併せて7名の役所は、日々訪れる人と賊の報告であふれかえり、しばらくの間阿栖は神奈のことを思い出す暇すら与えられなかった。
 
 それでも、腰についていた妻の形見の音無鈴の片割れがないのを見るにつけ、神奈がどうしているか気にはなった。
 
「柳也」
「はい?」
「城陽には立ち寄ったことはあるか?」

 ある日、比較的手の空いた柳也がのんびりしているところに、阿栖が声をかける。

「……いや、ないですね」
「そうか」
「何か?」
「そこになァ、娘が一人いるんだ。誰からも愛されず、偽りの感情に囲まれて、それでもまっすぐな心を失っていない娘がな」
「……はぁ」

 柳也はどう答えたものかと、阿栖の顔を見返した。

「……ま、いいんだ」

 立ち去った阿栖を見送った柳也は、戻ってきた手下の者の報告を再び受ける。

「……柳也様」
「どうした?」
「やはり……予定通り、彼らは動くそうです」
「やっかいだな」

 太刀を我知らずそばに寄せると、柳也が手下に指示を下す。
 今しばらく監視に専念せよ。動きがあればすぐに報告せよ。
 
 手下が去ると、太刀を帯びてゆっくりと邸の中を巡回する。
 不審な点はないか?
 怪しい者が出入りした形跡はないか?
 
「……どうした、柳也」
「え?」

 ふと、顔を上げる。
 副官が、不安そうな柳也の顔をじっと見つめていた。
 太刀をとって強そうな男とは思えない。

「……いや」
「ごまかすな。柳也。お館様に何かあるのではないか?」
「……そんなことありませんよ」
「…………」

 何も言わず、副官は背を向ける。
 
 数日前。
 都から来た役人に反発する者達が集会を開き、この地を再び役人の手から解放すべく立ち上がる、という話をしていたと報告を受けた。
 手下の一人を紛れ込ませて詳しく探っていたが、思いの外賛同者は多く、結局柳也の努力はさほどの成果を上げることは出来なかったと思い知らされることになる。
 その日は、おそらくそう遠くない。獲物を集めた場所、当日集まる場所。すべてが符丁のように巧妙に隠され、知らぬ者が聞いても意味が分からない。
 その意味を解読せんとする努力の結果、わかったことはおそらく一両日中に襲撃があるということだけだった。
 せめて、ということで監視と警戒を厳にして待ち受けてはいたが、迂闊に人に話すことも出来ない。
 こちらが大きな動きを見せると、少しでもわかっている情報が狂ってしまう。彼らが予定を変えてしまえば、今度は予想もつかない方法で襲撃を受けることになる……。
 
「……柳也」

 背を向けた副官がつぶやく。

「私も、かって太刀をとったことはある」
「………?!」
「それに。阿栖殿の御身を世話してもう何年になると思う?」
「……………」
「見くびるなよ。阿栖殿の身に危険が迫れば、この私にも何かが伝わってくるものなのだ」

 日頃無表情な副官が、にやり、と笑いながら歯の欠けた口を見せる。

「……お見それしました」

 柳也が頭を下げる。

「見くびるなよ、小僧。で、どうなんだ?」
「……今日か明日……」
「なるほど。阿栖殿には?」
「まだ……」
「知ってると思うけどな。ああ見えて、鋭い時は鋭いんだ、あの人は」
「それはわかってるつもりですが、ね」

 柳也と副官がそれぞれ、見張るべき持ち場を決めて袂を分かつ。
 彼が見張るべき場所が少し軽くなった。そう思って、再び邸の中を巡回し始めた。


「あの瓢箪が見張りになった……か」
「柳也よりは、扱いやすいな」

 邸の生け垣から忍び込んだ二人が、暗がりを歩いてくる姿をじっと見やる。
 手に鎌を持った二人が、騒ぎを起こす。その間に、寝所に忍び込んで首をかく。
 それが役目だったから、柳也を相手に死ぬことも覚悟していたのだが……。

「……行くぞ」

 ふと、副官の足が止まる。
 いぶかしげに、二人が顔を見合わせると、副官の日頃の声とはとうてい思えない大音声で一喝が入る。

「こそこそと隠れおるネズミどもが!! かかってこい!!」

 一瞬、気をのまれた二人ではあるが、騒ぎを起こさなくては意味がない。
 鎌を手にして、二人が副官に退治する。
 太刀を抜き身に構え、すでに二人を視野にとらえていると見えて慎重な足取りで進んでくる。
 
「このっ!」

 一人が間合いを詰め、副官のすぐ近くまで足を踏み入れる。太刀が一閃したが、あらぬ方向の空を切り裂く。
 戦い慣れした者の動きではない。

「なめやがって!!」

 もう一人が、大きな石を投げつける。ごつ、と音がして、石がまともに頭部に当たる。

「ぐあっ!」
「この、死ねっ!」

 近くまで詰めた男が、鎌でその脇腹を突き刺す。一瞬仰け反った副官が、しかし今度は正確にその太刀で男の首を薙ぐ。

「ぎゃっ!!」

 油断していた男は、ひとたまりもなく頭部を切り落とされて倒れた。
 だが、同時に傷ついた内蔵からあふれたどす黒い血が副官の口元からあふれ出る。

「ぐふっ……」
「この、この………っ」

 今一人の男が、大釜を手に副官の方へと走りより、その手首に鎌を振り落とす。
 太刀を握った手首がそのまま地面に転がり落ち、数旬遅れて身体が前に倒れ込む。
 その首を刈るように、鎌を振るった男は、その先に目に見えるような殺気を放って立つ男の姿を見た。

「……柳也……」
「この跳ねっ返りどもが……」

 柳也が風のように踏み込むと、男の手から鎌をたたき落とす。
 おびえて後じさった男が、石に躓いて仰向けに転ぶと、その上に馬乗りになって問いただす。

「……で、残りはどこだ?」
「何の話だ?」
「お前達が何をしようとしてるのかはわかってるんだ。いいからさっさと吐けよ」
「……知らない。俺は何も知らない」

 太刀の切っ先を首筋に押し当てると、さらに押し殺した声で続ける。

「残りは、どこだ」

 その瞬間、背後で気配を感じた柳也がとっさに身を翻す。
 手下の一人が、太刀を手に立っていた。

「おい、ちょうど良い。この男を……」

 言いかけた柳也は、手下の太刀の切っ先が自分を追随していることに気づく。

「……そういうことか……」
「今頃、阿栖殿も首だけになっておられることでしょう」
「…………ちっ」

 一気に踏み込み、太刀を振り上げる。
 
 倒れ込む彼の元手下を踏み越えながら、柳也は己の迂闊さを呪った。
 最初から、阿栖に事情を話しておけばよかった、と。
 邸の中はなだれ込んだ男達の怒号と悲鳴が錯綜していた。

「阿栖殿、阿栖殿!!」

 太刀を片手に、阿栖の執務室を目指す柳也。元手下達が、次々と柳也に太刀を向けるが誰一人として彼にかなう者はいない。
 
「……阿栖殿!」

 執務室に入ると、驚くほどの人数が倒れているのが目に入った。狭い入り口を利して、阿栖は頑強な抵抗をしたのだろう。
 太刀が折れ、地面に転がっている。
 そのそばに、なますにされた阿栖の身体が転がっている……。

「阿栖殿!」
「柳也か。遅かったな」
「……阿栖殿………っ」
「まぁ、見ての通りだ。すっかり腕が鈍ってるよ、やっぱり。太刀が折れるなんてな」
「…………」
「柳也……。もうここはいい。給金はその辺から持って行け……。連中、さすがにもう中に入ってくる度胸はなさそうだしな」
「……ですが……」
「城陽………」

 熱に浮かされたように、阿栖がつぶやく。

「……阿栖殿……」
「城陽に……神奈がいる。……柳也……あれは寂しがりでな」
「…………」
「良かったら、顔を見てきてやってほしい。髪に音無鈴をくくりつけた、変わった女子だ」
「…………はい」
「行ってくれ」

 柳也が立ち上がり、立ち去るのを見送る。
 数人を道連れにしたとはいえ、彼自身はもう冥府の入り口を眼前に見ていた。

「……神奈……」

 一瞬、頭に浮かんだのは菜実であり、その顔がゆっくりと神奈に変わっていく。
 心配そうに見上げた顔を思い起こす。
 音無鈴はやったっけな。
 腰に手をやってみる。
 
「……神奈。……菜実……すまない」

 最後の一声は、誰にも届かなかった。
 

「海までは遠いのか」

 再び顔を上げた神奈がゆっくりと身を起こす。
 何度試みても、だめなものはだめだ。
 
「……会いに行くためにはずいぶんな努力が必要なのだな」

 再び、翼に力を込める。萎えた翼が抗議するように、痛みを神奈に与える。

「我慢だ、我慢。行くぞ」

 再び木に登ると、境内を見下ろす。

「……海までは、遠いのだな」

 再び神奈は枝を蹴り、身を宙に躍らせる。
 ゆっくりと、一瞬、……ほんの一瞬、大気と大地が彼女の元に集い、包まれた大気が彼女を吐き出すまでの数瞬、彼女は大地から離れる。
 そして、ゆっくりとゆっくりと………。
 地面へと落ちていく。
 
 ……海まで……。
 未だ、その思いは届かなかった。