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君に捧げる舞踏会

君に捧げる舞踏会(DanceParty)

 紫レオタード姿の秋子さんに続いて、青・オレンジとそれぞれの色のレオタードに身を包んで現れたのは、名雪とあゆだった。
 あゆの背中には、なにやら大きな翼のような物が取り付けられていた。

「ありがとう、あゆちゃん」
「うぐぅ、この背中の機械は便利だけど、三人で飛ぶのはきつかったよ」

 あゆが羽根をむしり取るかのような動作で背中に背負っている不思議な機械を外そうとするのを、名雪が手伝う。

「いったい……」
「ふふ、祐一さんたらそんなに驚いて、大げさね」
「驚きますって!」

 いつも通りに頬に片手を軽くあてて微笑む秋子さんに、俺は少し大きい声で突っ込みを入れる。
 何しろ、ここは4階だ。その窓から入ってきたのだ。もちろん、外にベランダはない。
 非常階段からロープでも張って伝うにも、さっき香里が言った通りガードだらけの筈。三人だけで全部倒せるとは到底思えない。
 あゆの背中の翼だって、秋子さん達の格好だって謎だ。

「名雪、まさか秋子さんは……」
「なにか知ってるのか、香里」

 香里があたらしい侵入者に向けた言葉に俺が尋ねる。
 ゆっくりと頷く香里の顔色は、心なしか悪いようだ。

「言っていたのよ、名雪が。秋子さんが昔流行った『CAT'S-EYE』っていうマンガの文庫版を全巻買ってきたって」
「…は?」
「それ以来、秋子さんが夜中までミシンをかけている音が聞こえてくるとか、秋子さんの部屋から何か工具を使う音がするとか、名雪から聞いていたのよ」
「……そ、それで?」
「まだ判らないの!?」

 香里が大きな動作でこちらを振り返ると同時に、秋子さんを指さした。

「あの格好は秋子さんの趣味で、『CAT'S-EYE』のコスプレだってことが!」

 香里が大迫力の形相で俺を見つめる。
 見つめられても、俺には困る。知りたいことは秋子さんの格好が何から取った物かじゃなくて、どうやって秋子さんがここへ来たかなのだから。

「…香里さん、お久しぶりね。最近はあまり家に来てくれないのね。美味しい紅茶を買ったから今度来たときはスコ−ンと特製のジャムをごちそうするわ。どうぞいらして下さいね」
「ひっ!」

 満面の笑顔を顔に貼り付けた秋子さんの言葉、特に強調した『特製のジャム』の一言に、香里が硬直した。同時に名雪も硬直してる。

「お、お母さん…それって、わたしも一緒…?」
「名雪も食べるでしょ? ジャム」

 香里と同じ声を出して、名雪も硬直した。
 俺はただ、心の中で念仏を唱えるだけだった。

 頑張ってくれ、名雪。

「あのぅ、どうやってきたのかをご説明いただけるととても嬉しいんですが…」

 ジャムの恐ろしさは判らなくても今この空気が緊迫していることは感じているのか、佐祐理さんが珍しく怯えながら本題を口にしてくれた。
 お陰で蛇に睨まれたカエル状態から香里と名雪が解き放たれる。

「あゆちゃんの背中の羽で飛んできたのよ」
「うぐぅ! ボク頑張ったよ」

 くるりとこちらへ向けたあゆの背中には、なにやら翼を羽ばたかせる怪しい機械が背負われている。
 名雪やあゆじゃ作れない、もちろんその辺りの人じゃまずはこんな機械は作れない。秋子さんが作ったんだろうけれど、お陰で秋子さんの謎は深まるばかりだ。

「それで飛べるのか?」
「短距離だったら充分ですよ。もっとも、三人で使ったのでここまで来るのに時間がかかりましたけれど」
「もしかして、開始からずっと飛んでいたとか?」
「ちがうよー。開始の後学校の裏手に隠れて、ある程度挑戦者が減ってからだよ」
「指輪がある場所が旧校舎でないことはガードの追加が向かわなかったことで判りましたし、最上階に置かれているだろうことは予測できましたから、後は窓から様子をうかがっていたのよ」
「あの…それじゃ、どうやって窓を開けたんですか? 私達がこの部屋に入ったときには鍵が閉まっていたはずです」
「それはね」

 推理物ドラマの謎解き宜しく、秋子さんが窓枠に指を滑らせ、そこから銀色に光る糸をつまみ上げた。

「テグス?!」

 手で押し下げるタイプの鍵にテグスと来れば、テグスをすぐ外れる輪にして鍵の取っ手にかけ、そのまま何かに引っかけてから窓の外へ糸を出しておけば鍵が開く、という手法がある。

「いつの間にそんな仕掛けを?」
「昨日の戸締まりでこの階と旧校舎の上の階全部の部屋につけたんだよー。仕掛けはお母さんが作ってくれたよ」

 名雪が手を挙げてにっこり笑う。

「全部って…」

 今更だが、最後に現れた敵がこちらと匹敵するかそれ以上の最強メンバーなんだと思い知らされる。
 だが、負けるわけにはいかない。

「……」

 先程から黙って、だが木刀から手を離さない舞を見やる。
 
 舞の卒業式以来、佐祐理さんも混ぜていろんなところへ遊びに行った。
 初夏には海へ行って、夏には山へ行って、舞の好きな動物園へも何度も行ったし、映画も見た。
 ゲームセンターで遊んだり、冬にはスケートもした。
 お互いの家へ遊びに行ったりもしたし、舞の気持ちはわかってるつもりだ。
 俺だけに向けてくれる視線も、俺だけに寄せてくれる肩も、その想いも。
 判ってはいる…俺も舞が好きで、舞が俺を好きでいてくれることを。けれど、もっとはっきりとした形でアピールして欲しい。
 あまりに澄んで真っ直ぐな瞳を見ていると、もしかしたら舞は俺よりも大事な物を見つけたら何処かへ消えてしまうんじゃないかと、そんな馬鹿なことさえ頭に浮かんでくる。
 
 だから、一度だけで良いから…。

 幸せを約束するドレスを着て、俺と約束をして欲しいんだ。
 ずっと一緒にいようと。

「秋子さん、名雪、あゆ。今回は譲って貰えないか?」

 俺の言葉にあゆと名雪が、寂しそうな顔をした。

「家族旅行を考えたことがあったんですけれど、あゆちゃん真琴ちゃんを入れると5人で行くことになるでしょう? 何人分かでも宿泊券がないと、予算の都合でちょっと、ね」
「…うぐぅ…ボクは……。…ボクももみんなと旅行へ行きたいから、秋子さんを手伝うよ…」

 ちらりと名雪を見て、あゆは少し顔を伏せた。
 名雪は…俺を真っ直ぐ見つめていた。

「祐一……わたしは、ね。家族旅行も行きたいけど、宿泊券なら祐一にあげても良いと思うよ? でも、ドレスは…」

 ぎゅっと、胸の前で強く手を組む。

「…祐一は、わたしがそのドレスを着たら、一緒に踊ってくれないの? わたしとじゃ…」

 濃い色のレオタードに映える白い肌が小刻みに揺れる。組んだ手は力を入れすぎて、血の気が失せている。
 そして、すべての力を振り絞るように、か細い声で問いかける。
 俺にとっては、あまり聞かれたくないことを。

「祐一は…あのドレスを着たわたしとじゃ、踊ってくれないの…?」

 栞も、あゆも、佐祐理さんも舞も、俺の言葉を待った。
 北川や香里も秋子さんも、黙って俺を待ってくれた。

 目の前のガラスケースでは、指輪についている宝石が小さな光を放つ。
 この指輪を持っていけば俺の願いは叶うんだ。名雪や…たぶん、あゆやその他参加してる何人もの女の子の願いと引き替えに。
 他の女の子の願いと引き替えにするほど、俺にあるのだろうか?
 俺の願いは、そこまで強い物なんだろうか?

 自分への問いかけの答を、みんなの前で言葉へとかえた。

「俺は、あのドレスを着て一緒に踊って欲しい人がいるんだ」

 名雪が、ゆっくりと微笑む。その瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。

「悪い、名雪…」
「いいんだよ、祐一が決めたことだもん。それなら…わたしはドレスを祐一に譲るよ…。お母さん、あゆちゃん、いいよね?」
「…名雪の思うようにしなさい」
「…ボクも、それで良いと思うよ…」

 二人の言葉に励まされるように、名雪は小さく頷くと、腰に巻いたバンダナに挟んだカードを一枚出して、自らの胸を刺した。
 刺す瞬間に飛び散った後、パッドの液体は紅く名雪の胸元に広がった。

「名雪…」

 駆け寄った香里の腕に、名雪がもたれる。

「祐一…頑張ってね。まだここから出ていかないといけないんだよ」
「大丈夫だ、考えてある」

 俺は佐祐理さんと舞を振り返った。
 佐祐理さんが持ってきていたカギを、俺が身体に巻き付けて持ってきて置いたロープにくくりつける。その間に舞はロープを打ち出す銃を組み立てる。

「朝礼台の横に生えている木にロープを付けます」
「ああ、頼むよ佐祐理さん」
「あらあら、わたしたちはお邪魔のようね」
「すいません、秋子さん」

 窓から顔を出すと、朝礼台横の木が目にはいる。他にロープを付けられそうな場所はないし、それが妥当だろう。
 ただ、枝が多いのでロープが引っかかるか、引っかかったとしても幹が思ったより細くどこまで俺達の体重に耐えられるか…、不安要素は多いが仕方ない。

「祐一さん、佐祐理は後から行きますね」
「…私も残る」
「え? 一緒に行こうって言ったじゃないか」

 佐祐理さんも舞も首を振る。

「指輪を届けるのは一人でも良いはずです。あの枝じゃロープを張っても三人分は無理だと思います。佐祐理はロープを張ったら援護します」
「…私も佐祐理といる」

 佐祐理さんの言葉通り、一人で行くのが無難だろう。だが、俺一人だと下りる最中に狙われたらひとたまりもない。補佐をしてくれる人間が必要だ。

「…判った、佐祐理さんには悪いけど残って貰うよ。でも、舞は一緒に行こう。補佐するから、舞は指輪を持って本部へ行くんだ」
「そうですよ、舞。舞も行った方がいいです」

 佐祐理さんの言葉に、舞が仕方なさげに頷く。
 俺といるより、佐祐理さんといる方がいいのか? …こんな時に、俺の不安は強くなるんだ。

「行くよ、佐祐理さん、舞」
「はいっ」

 佐祐理さんが構えて、銃を発射する。ロープは真っ直ぐ飛んで、狙った枝の一つに絡まる。
 そのまま銃からロープを引き出して、強く張りながら室内のパイプにまとめて巻き付けて縛り上げる。
 佐祐理さんのOKサインに俺はガラスケースを持ち上げて素早く指輪を引き抜き、舞の指にはめると、ロープに滑車を取り付けた。

「さ、舞、行こう」

 俺の肩に抱きつく形で舞がしがみつき、片腕でその舞を抱き上げる。
 舞の片手と俺の片手で取っ手を握ると、俺は少し狭い窓枠を蹴って後ろ向きに部屋を飛び出した。

 横から吹く風の冷たさが頬に当たるが、それ以上に腕の中の舞が暖かかった。

「舞」
「…何、祐一」
「ドレス、お前にやるから俺と踊ってくれよな」
「…うんっ」

 舞が俺の肩に回した手に力を込めた。
 それに勇気づけられ、俺は前を見据えた。
 朝礼台に立つ生徒会長は、すでにこちらへ銃を構えているだろう。
 だが、今撃っても俺の胸にはあたらない。
 地面が足下へ急速に近付くのを見て取ると、俺は舞を抱える腕の力を弱めた。

「気を付けて行って来いよ」
「うん」

 目の端に生徒会本部テントの白さが映る。同時に舞が俺と取っ手から手を離す。

「! 何?」

 背後の声に俺も取っ手を離す。会長には俺の影から急に舞が現れたように見えただろう。
 狙い通り朝礼台の上へ着地した俺に、会長の戸惑いが振り返る時間を与えてくれた。

「ダミーか、しかしっ!」
「遅い!」

 生徒会長の狙いが俺に向けられた。舞が指輪を届けるより先に俺を撃とうというのだろう。
 だが、その判断を下さすまでに時間がかかりすぎた。

「くぅっ」

 振り向きざまに入れた俺の肘が、引き金を引かれる前に生徒会長の左胸に入った。



『イベントの終了をお知らせします。参加者の皆さんは速やかに校庭へお戻りください。生徒会長より閉会の挨拶と賞品の授与式が行われます』


 校庭に集まった人々の胸はそれぞれに紅く染まっていた。途中からガードに回った挑戦者も多かったらしく、口々に不平を漏らしていた。

「あははーっ、今日は楽しかったですね」

 人波が切れてようやく出られた佐祐理さんが、言いながら舞の隣へ並ぶ。

『では、賞品の授与を行います』

 天野のアナウンスに俺達三人が台へ上る。
 制服の左胸を染めた生徒会長が俺を見て苦笑しながら右手を伸ばす。

「最後はやられてしまいました。さすが先輩ですね」
「おう、またやってくれよ」

 右手を差し出して、がっしりと握手を交わす。
 見た目の可愛さとは裏腹に何か一物持っていそうだが、どうやら悪いヤツじゃないらしい。

 佐祐理さんが宿泊券、舞がドレス、俺が賞状を受け取ると、会場から拍手が上がった。
 少し照れくさくて視線を逸らしたら、上着を着て手を振る秋子さん達が見え、俺も小さく手を振り替えした。


 陽はかなり傾いて、校舎の中も後かたづけの声で賑やかだった。
 俺も自分のクラスの片付けを早めに終わらせて、舞を待たせている屋上手前の階段へと駆けつけてきたんだが。

「あ、祐一さん」

 ドレスを着た舞と、私服に着替えた佐祐理さんが座っていた。

「じゃ、佐祐理は先に帰りますね」
「え? せっかくだからキャンプファイヤーまでいればいいのに。もうすぐだし」
「いいえ、佐祐理はお邪魔虫にならないうちに退散します。そうでないと、舞に怒られちゃいますから」

 あははと笑って、佐祐理さんは階段を下りてくる。
 伸ばした俺の手を押さえると、

「…ダメですよ、祐一さん。祐一さんが他の女の子に手を伸ばすと、舞が悲しむって判っていましたか?」

 と呟く。

「…佐祐理」
「…佐祐理もドレス、着てみたかったです。でも、舞がやっぱり一番似合ってますね、あははーっ」

 言い残して、佐祐理さんは風のように軽やかに階段を駆け下りた。

 二人きりになったところで、俺は舞の手を取って屋上へと出た。 夕日の残した朱色が闇に溶け、神秘的な紫色の世界をどこまでも遠く広げていた。
 下から聞こえる喧噪もどこか非現実的で、俺達が二人きりだと言うことが強く感じられた。

「…祐一?」
「なんだ? 舞」
「…私とで良かったの?」

 ぴたりと寄り添った舞が俺を見上げた。

「なんでそんなことを訊くんだ?」
「…佐祐理も、今日会った女の子達も、みんな祐一のことが好き。…祐一も、みんなを好き」

 名雪の気持ちも、あゆの想いも。栞がどうしてクラリスを選んだのかも、最後の佐祐理さんの言葉も。
 彼女たちが持っている感情が友情で言う『好き』ではないと、俺も気が付いていた。
 俺が彼女たちに抱いている感情は、彼女たちが望んでいる物とは違うということも。

「俺は、な。舞」
「……」
「舞と、幸せになりたいんだ」
「……祐一……」
「だから、舞」

 口元をゆるめる舞に深く礼をして、目の前に手を差し出す。

「俺と踊って欲しいんだ。俺のお姫様は舞だけだから」

 スカートの端をつまんで愛らしくお辞儀をし、舞は俺の手を取ってくれた。

「舞…」
「…私も、祐一と幸せになりたい」

 この幸せな時間がいつまでも続くようにと、俺達は夜のとばりが下りてもつないだ手を離さなかった。



END