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君に捧げる舞踏会

輪舞(ロンド)の前に捧げる供物

「誰もいないな…」

 4階は、下階の喧噪が響いて聞こえるほど静かだった。
 非常口から誰か来るでもなく、各部屋から特に音も聞こえない。

「ハズレ…か?」
「…違う。ここにあると思う」

 俺の言葉に、舞が首を振る。
 そのまま、細い指で天上をさして言葉を続ける。

「屋上…人がたくさんいる」

 言われて耳を澄ますが、俺には何も聞こえてこない。
 だが、舞の言葉を疑うほど俺は舞を知らないわけじゃない。

「ということは当たりなんだろうが…なんで屋上には人がいるのに、ここには人がいないんだ?」
「罠、でしょうか」

 俺は慎重にリノリウムの廊下を歩いた。靴音が嫌に響いて居心地が悪い。

『おめでとう』

 急にスピーカーから響いた生徒会長の声に身をかがめた。
 まわりを見渡しても誰もいないので、ゆっくりと身を起こす。

『4階だけにこの放送を流しています』

 説明するように、穏やかな天野の声が響く。

『そこの階まで辿り着いた最初のグループには説明が必要だと思って、4階だけに放送を入れています』
『こらーっ、祐一、さっさと負けちゃえ! そうしたら今夜は会長のおごりで美汐達と焼き肉が食べられるのに』
『真琴、だめっ』

 ………。

「どうやら、ガード側が勝つと生徒会役員は焼き肉を食べに行くらしいな」
「……焼き肉…」
「今から生徒会側についても、焼き肉は食べさせて貰えないと思うぞ」

 木刀に手を伸ばしかけた舞が、俺の言葉に悲しそうに俯く。

「あとで一緒に食べに行けばいいじゃないか」
「…焼き肉…」
「奢ってやるから」
「…判った」

 ようやく舞が顔を上げると、タイミングを見計らったように放送が続いた。

『あー…。4階の何処かの部屋に、指輪があります。他の教室は空です。
 ただし、はずれの教室のドアを開けた瞬間に、屋上に集まった100人のガードがあなた達を追いかけることになります』

 まだ居るとは思ったが、そんなにガード側が残っていたか。

『どこの部屋を選ぶかはあなた方の自由です。指輪をとっても屋上のガードは下りていきますから、脱出は急いで下さいね』

 穏やかな口調で、さらりと怖いことを告げる。
 はずれればゲームオーバー、あたっても脱出に失敗すればまたゲームオーバーというわけだ。

『では、本営で待っています。校舎を出てからも校庭のトラックに入るまでは攻撃対象ですので、注意して来てください』

 さらに外にも敵がいると丁寧に教えてくれる。

『では、健闘を祈ります。折角ですから、指輪を持ってきて下さいよ、先輩』
『以上で放送を終わります。…頑張ってくださいね、相沢さん』
『頑張らなくて良いんだから、祐一はっ』
『こら、ダメよ真琴』

 なにやら混乱ぎみに放送が終わる。
 同時に、心に決意が湧く。
 …真琴は、帰ったらとっちめておかないと。

 ふと、俺に向けられた二つの視線に気が付く。

「あ、あははーっ、祐一さんは人気者さんですねーっ」

 いささか乾いた声で笑う佐祐理さんと、無言でチョップをしてくる舞。
 特に舞はあからさまに頬が膨らんでいる。

「いや、別に人気者ってわけじゃないんだって。それより、どうして俺達が着いたって判ったんだろうな」

『監視をしている人がいますから』
『天野さん、言っちゃ駄目だよ』

 急に入った放送はやはりガチャガチャと雑音と共に途切れた。

「……ヒント、だったのかな。今のは」
「そうみたいですね」

 とりあえず、天野はなぜか協力してくれた模様だ。
 そして舞は俺の頭をぽかぽか叩き続けている。

「と、とりあえず、だ。この教室の中の、どれが当たりだと思う?」

 俺はざっと廊下を見渡した。
 トイレと洗面所は除外して良いだろうけれど、それならばどこへ指輪を隠したか。
 物が多い社会科準備室か。
 机の多い視聴覚室か。
 それとも、薬品臭がきつくて入るのがためらわれる理科準備室か。

 …1〜3階が各学年の教室だから、特別室がこの4階に多いのは仕方がないが、どうしてこんなに特殊な部屋が多いんだろう。
 こういうときには嫌がらせとも思える。

「舞、俺を叩いていないで、どこだと思う?」

 俺の言葉にようやく叩く手を止めて、舞が辺りを見回すと廊下を端まで歩く。
 非常階段側のドアまで辿り着いて振り向くと、一つの教室を指さす。

「あそこ」
「え? どうして?」
「あ、もしかして…」

 佐祐理さんが舞の隣へと早歩きに近寄る。
 俺も一緒に後を追う。

「ほら、ここから廊下を見れば…」

 佐祐理さんの言葉に、三人揃って廊下を振り返る。
 非常口のドアから差す光が、昨日の文化祭で埃だらけになったまま掃除されていない廊下を照らす。
 うっすらと白く輝く廊下に、地色の帯が下りの階段からとある教室へと伸びていた。
 それは、他に見える足跡よりもずっと鮮明だった。

「そうか…。指輪を隠したのは今日になってからだろう。なら、鮮明に足跡が残っている部屋に隠されているのは道理だな」

 頷くと、俺は舞の頭を撫でた。

「さすが舞だ、一緒に組んで本当に良かったよ」

 撫でるたびに、だんだんと頬が赤くなる舞がやはりかわいらしい。

「祐一さんと舞は、本当に仲良しですね」

 あははと、佐祐理さんが笑ったので、俺は名残を惜しみながら舞の頭を撫でるのをやめた。

「じゃ、あの部屋に行くとするか。下の騒ぎもだいぶ大きくなってきたみたいだしな」

 階下の喧噪がだんだんと近付いているように感じる。この階へ上がってこられたら、あとは挑戦者同士の指輪争奪戦になってしまう。

 俺達はその部屋・美術室の前に立つと、引き戸型の扉に手をかけた。

「やっぱり来たな、相沢」

 俺は息をのんだ。

「北川、どうして……」

 机を壁に寄せてあけた部屋の中央に台が、その上にガラスケースが置かれ、さらに先にある窓を背に、三人の人影がこちらを向いて立っていた。

「こんなところで会うなんて、な…。これも宿命なのかも知れないな」
「北川、どうしてっ!」

 窓から差す光に、三人の輪郭が部屋の中で浮かび上がる。
 その向かって左端に、俺は視線が釘付けになった。
 明るい栗色の髪に、ピンと跳ねた前髪。厳つい筋だらけの肩を大きく出した服に毛むくじゃらの足を際ただせる白のミニスカート。
 紛う方無き、我が友人の北川潤その人だ。

「どうして…」
「…こんな姿を、さらしたくなかったよ」

 顔を伏せる北川に、俺は胸に詰まる想いを言葉にしてぶつけた。

「どうして銭形のとっつぁんの格好じゃないんだよっ! 昨日あの夕日に約束しただろう!」
「それだけかっ!」

 俺の突っ込みに、北川の突っ込み返しが絶妙に決まる。
 が、踏み出して前に出た北川の両手には手錠が、左胸には帯びただしい赤い液体がしたたっていた。

「って、手錠してる上にパッドが破れてるくせに、なんでここにいるんだよ」
「私たちが説明するわ、相沢君」
「そのために三人で待っていたんですよ、祐一さん」

 残る二人がついと前に出る。
 真っ白のドレスを翻す美坂栞。トレンチコートの裾を翻す美坂香里。
 対照的な格好の姉妹が、俺達の前にその姿を現した。

「祐一、祐一」

 くいくいと引っ張られる感触に、ちらりと後ろを向くと舞が前方の二人を指さした。

「あれは判る。銭形警部とクラリス」

 そのまま指先を北川の方へ移動させる舞。

「でも、あれは何?」
「たぶん……峰不二子なんじゃないかな」

 俺の答えに、非常に不服そうな表情を舞が浮かべる。

「…不二子は、違う」
「そう言われても……」
「オレだって好きでやってるんじゃないのに…」

 舞の言葉に北川が泣き崩れるように座り込む。膝を折ってしなを作る姿が、非常に気持ち悪い。

「そうだよな、北川は昨日まで、『香里に不二子の格好を! ミニスカ胸出し、うっひゃー』とか言って張り切っていたもんな」
「ああっ、そんなことは言わないでくれっ」
「不二子のバストが100センチ越えてると知って『この胸に俺の人生を捧げる!』とまで言っていたよな」
「…そんなに不二子が好きなら自分で着たらと言ってあげたのよ」

 香里が不機嫌そうに口を挟むと、北川はそっと目頭へ指をあてた。
 北川が目頭を押さえるその仕草で、だいたいどんなことが起こったのか予測がついてしまった。
 …確かに、香里が北川のいいなりにあんな布地が薄く少ない服を着たりはしないだろうな。
 昨日のうちに気付いて北川に言ってやれば、北川もこんな姿をさらさずに済んだだろうに。
 その辺りは俺の落ち度かも知れないな。すまない、北川。でも、俺を恨むのはやめてくれよ。

「相沢、今心の中でさらりと謝って、後は知らないフリを決め込もうとか思わなかったか?」
「いや、そんなことは知らないな。友人を疑うのはどうかと思うぞ、北川」

 なにげに核心をつく北川に俺はとぼけた答えを返した。

「祐一さん、私のドレス姿を見て何も言ってくれないんですか?」

 盛り上がる俺と北川に割ってはいるように、白いドレスの栞が近寄ってくる。
 パフスリーブの袖は手の甲まで伸び、不要な飾りのほとんど無い胸元には大きめの首飾りが揺れる。
 肩に掛からない辺りで揃えた茶色の髪が、ドレスの白さに映える。

「ああ、クラリスのコスプレ、似合ってるな。ベストチョイスだ、栞」

 ちょっとはにかんだ笑顔で、栞が頬を染めて俺を見つめる。

「祐一さん…私、似顔絵だって上手くなります。料理も裁縫も覚えます。だから私に…」

 小さく床を蹴ると、勢いをつけて栞が俺の胸へめがけて駆け込む。

「私に勝利をください!」
「なっ!」

 栞が勢いそのまま俺に向かってきた。
 すかさず身体を捻って避けると、そのまま栞が通り過ぎる。

「祐一さん、避けるなんて非道いです」

 言いながら栞の勢いは止まらず俺の背後へと数歩飛び出す。そこへいつの間にか先回りしていた舞が、腰の木刀に手をかけた。

「嫌ですっ!」

 栞の言葉と同時に、二人はすれ違った。
 体制が崩れそうになるのを止めて、振り向いた栞の胸は、紅いシミが滲んでいった。あたかも、赤バラが蕾を開くように。

「非道いです…避けるなんて」
「避けるのは当然だろう」
「……また、つまらぬ物を斬ってしまった」

 舞の物まねに、栞ががっくりと肩を落とす。

「…それより、早く説明してもらおうか」

 銃を構えると、側に佐祐理さんも寄って同じように構える。照準は香里に合わせて。
 舞も、佐祐理さんと逆側に立って、木刀に手をかける。

「簡単なことよ。あたし達は開始直後の校庭でリタイアしたの。…北川君のせいでね」

 トゲのある香里の言葉に、座ったままの北川がビクリと震える。

「校庭でリタイアした挑戦者には、ガードへ転向する権利が貰えたのよ。栞が入っている美術部はもちろんガード側として参加しているから、その手伝いということで先にここへ来させてもらったのよ」

 なるほど、リタイアした挑戦者がガード側になって再参加していたから、倒しても後からガードが増えていたのか。

「相沢君達がここまでこれるなんて思っていなかったけど、栞が世話になっている美術部の為にもここでリタイアしてもらうわ」

 香里はそこまでいうと、ポケットから紐のついた手錠を取り出した。もちろん、本物じゃないだろうがぶつかったら充分パッドを破壊しそうだ。

「戦うしかないのか? どう見ても香里には不利だろう」
「そうかしら。やってみないとわからないと思わない?」

 言葉と同時に、香里が複数の手錠を投げる。
 迫る手錠を舞が前に出て木刀でたたき落とし、俺と佐祐理さんが香里の手と手錠を取り出しているポケットをそれぞれ撃つ。
 取り落とした手錠のかわりを取ろうと別のポケットに手を入れた香里に、もう一発佐祐理さんが発砲し…。
 …音が消えると同時にコートの左胸にシミが広がった。

 すべて、ほんの数秒の出来事だった。

 香里の胸から染みた液体がシャツを伝わり、床へと雫をこぼす。
 手を押さえた香里は、痛みからか目を細めてこちらを見つめた。

「…あたしの負けね」
「…悪いけど、指輪はもらっていくぜ」
「いいけど、どうやって本部まで持っていくつもり? その指輪が台から離れたら、屋上のガードが下りてくるわよ。非常口だってガードが待ちかまえているし、普通に階段を下りれば挑戦者が指輪を狙ってくるわよ? 何より、本部は生徒会長が守ってるのに」
「それでも、俺達は貰っていくよ」
「……なら、頑張ってみせて、相沢君」

 諦めたように微笑む香里に頷くと、俺はガラスケースへと手をかけ…。

「まだ気を抜くには早いわよ、祐一さん」

 聞き慣れた声と共に、俺の袖口を白いカードが掠めていった。

 顔を上げた俺は、信じられない物を見ることになった。

「そんな……なんで…」

 窓がいつの間にか開き、カーテンが入る風に大きくなびく。
 窓枠にかけていた足がゆっくりと部屋の中に伸びて、主の全身が現れる。

 紫色の大胆なレオタードに身を包み、豊かな髪をなびかせて微笑んだその人は……。


「秋子、さん……?!」

 我らが水瀬家の主、水瀬秋子さんその人だった。