風はさや、と。
雲はさら、と。
満月はしん、と。
その空を眺める影が、ふたつ。林の木陰から、高い空を見つめていた。
「明日は晴れるぞ、エディフェル」
大きい方の影が、ぽつり、とつぶやいた。
「どうして、そんなことが?」
小さい方の影が、か細く、尋ねる。
高い空を行く雲は、細く長く、速く。白く輝く真円をかすめる。
「この国の天気は、風や雲が簡単なことは知らせてくれる」
ひょうと吹き抜ける風が、小柄な女の黒髪をないだ。
「明日の事…私も少しだけならわかります」
男は、空を見上げたままの姿勢で女の頭を撫でた。
「…明日は、姉たちが来るでしょう…」
女も、変わらぬ姿勢で撫でられるに任せた。
「夜明けまで少し寝ておけ、エディフェル」
「…そうします、ジローエモン」
二つだった影は、一つに重なった。
風も雲も、静かに流れて。
リネットは、柔らかな光を発する壁の、一部だけ突出した場所に手を重ねた。
それにこたえるように、室内は明滅を繰り返す。
ゆっくり、ゆっくり。
「…リネット、ヨークの意志はどうだった?」
その様子を見守っていたリズエルが、光が弱くなったことを確認してから声をかける。
「この子は、エディフェルを肯定しているよ。血は薄くなっても、血が消えてしまうわけじゃないから」
リズエルは小さく、溜息をついた。
「今、エディフェルに同意しているのは…ヨークだけね。ダリエリもアズエルも、反対している」
辺りを見回して、その空間に二人だけなのを確かめると、リネットはリズエルに向き直った。
「リズエルお姉ちゃんは、やっぱり反対なの? 私は…決めるのは早い気がするの…」
「リネット…でも、決めなければ。もう、みんなの狩猟本能を、皇家の威厳だけで押さえつけることに無理が出ている。それに私が一番恐れていることは…」
リズエルは言葉をとぎらせた。
「リズエルお姉ちゃん?」
リネットはリズエルの視線を追った。
その視線の先は、部屋の出入り口。扉はなく、通路に続いて口を開けている場所。
「出てきなさい」
すい、と背筋を伸ばし、高圧的な響きを声に持たせ、リズエルは入口を見据えた。
「怒らないでよ、リズ姉」
影から出てきた人物を見て、リネットは小さな安堵の溜息をついた。
「アズエルお姉ちゃん…。どうしたの? 何かあった?」
気安く声をかけ、近寄ろうとするリネットの前に、リズエルは腕を伸ばした。
「待って、リネット。
…アズエル、あなたはどうして、そこに黙って立っていたの? 用事があるなら、声をかけても良いでしょう?」
リズエルは、実の妹であるアズエルを見据えたまま、固めの口調で問いただす。
「リズ姉、疑わないでよ。私だって知りたいんだ、リズ姉がエディフェルをどうしようとしているのか」
アズエルも、リズエルの視線を正面から受け止める。
…しばしの沈黙後。
「…わかったわ、アズエル。周りに人が居ないことを確かめてからこちらへいらっしゃい」
リズエルの身体から緊張がゆるむのを感じて、リネットは本当に安堵の溜息をもらした。 リズエルとアズエル、二人がもしも争ったなら、どちらか片方にも戦闘力が及ばないリネットにとっては、惨事を見守ることしかできない。
4人だけの姉妹からすでに一人欠け、まして母星に帰れない今、これ以上肉親が消えることも、リネットにとっては遭って欲しくない事態だ。
リネットにとって「遭って欲しくない事態」は、すでに起きているのだから。
「リズ姉、エディフェルのこと、どうするんだ? まさか、処刑なんてしないだろ?」 アズエルの問いかけに、リズエルは表情を曇らせた。
「リズエルお姉ちゃん?!」
リネットは不安げな声を上げた。
「リネットの考えはさっき聞いたわ。アズエルは、どう思う?」
「どうっ…て…決まってるじゃないか、エディフェルは騙されているだけで、この国の原住民が悪いんだ。連れ戻して、狩りを続ける。もちろん、エディフェルをたぶらかした原住民は真っ先に殺す」
握り拳を作るアズエルを見て、リズエルは小さく首を振った。
「それで、本当にみんなは収まるのかしら」
リズエルの一言に、リネットの動きが止まった。
「収まるのかって…それで元通りだろ? どこにも問題はないはずで…」
「理論的には、ね」
アズエルの言葉を、リズエルはたった一言で遮った。
…ほんの少しの間の、沈黙。
「…リズ、姉ぇ…一体、どうしてそんなこと…?」
信じられないといった顔で、アズエルは聞き返す。
「…思い出して、私たちの種族は狩猟民族よ。その私たちにとっての一番の悦楽は、何?」
そこまで聞いて、リネットははっとした。
「決まってるじゃないか、生命の炎を刈り取ることだろ」
「そう、出来るだけ強く燃える、生命の炎を、ね」
「リズエルお姉ちゃん、それって…」
未だ要領を得ないアズエルの横から、リネットが顔を出す。
「この星の中で、一番強く燃えさかる命の炎を持つのは、一体誰かしら」
その一言で、ようやくアズエルにも言いたいことが何か、わかってきた。
「まさか…?」
リズエルは頷く。
「皇家の者を同族が殺したときには、一体どれほどの悦楽を感じることが出来るのか…。それを考えてる者は、少なくないの」
「それじゃ、エディフェルを殺したがっているヤツが居るのか?」
アズエルの拳が強く握られ、肩が小刻みに揺れる。
「エディフェルは、裏切り者。普段は皇家の者を手に掛ける事なんて考えられないけど、今ならそれが正当な理由付きで実行できるわ」
「じゃあ、何? エディフェルを殺そうってヤツが居るってこと?」
アズエルの言葉に、リネットは口元を押さえた。
姉を殺したがっている者が居る…。
その事実は、リネットにとっては責め苦だった。
自分がミスをしなければ、今頃は皆母星に帰っていたはずだった。
母星に帰っていたなら、こんな辺境の星に来ることも、その原住民と姉が出会うことはなかった。
この星へ来たとしても、原住民との共存など考える必要もなかったはずだった。
すべてが。
今起こっているすべてが、自分の責任である。
…リネットには、そう思えて仕方がなかった。
「エディフェルは、私が殺させないわ」
リズエルは、そう言い切った。
「明日、エディフェルと直接会ってきます。そのためにリネットとアズエルにお願いがあるの、聞いてくれる?」
二人は素早く頷く。
「…アズエルには、私のと一緒にエディフェルのところへ行って、原住民の…ジローエモン…だったかしら、それを引きつけていて欲しいの」
アズエルは頷く。
「リネットは、私とアズエルが居ないことをごまかすことと、みんなが私たちのところへ来ないよう誘導して置いて欲しいの」
リネットも頷く。
「この事は、私の独断で行います。ダリエリには気付かれないように。…彼は、気が付いたら必ず止めにくるわ。そうしたら、話し合いにはならない」
3人は真剣な表情で、お互いを見つめ合った。
「…明朝、日の出を確認後、私とアズエルはここを抜け出すわ。リネットはその後…時間が長くなるけど、上手くごまかしていて欲しいの」
リネットは再び頷いた。
ほんの少し、微笑みを浮かべて、千鶴はリネットの頭を撫でた。
「一番難しいことをさせるわね…、ごめんね、リネット」
辛そうに顔を伏せるリズエルの手を、リネットは慌てて握り返した。
「ううん、やらせて! 頑張るから!」
「ありがとう。アズエルは、どう?」
「任せてよ!」
3人は、顔を見合わせて頷きあった。
そして、エディフェルの最後の夜が、開ける。