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月の照らすもの・3


 血が、滴る。
 リズエルの腕に、血が滴る。
 その紅い雫は、暖かく、腕を伝って地面へと落ちる。
「どうし…て…?」
 惚けた顔で、リズエルは正面に立つ相手を見つめた。
 自分の腕を、胸に突き刺している相手を。
 この場にいるはずのない、自分の妹を。

 誰も動けなかった。

 ゆっくりと、細いからだが後へと傾く。
 同時に、ずるりとしめった音を立てながら、リズエルの腕が抜けていく。
 その都度、大量の鮮血が傷口から溢れる。
「あ…ぁ…」
 かたかたと震える腕が完全に抜ける瞬間、紅いしぶきが散る。
 その赤が、またリズエルの頬を染める。
「どう…して、エディフェル…が?」
 ようやく言葉を発するが、アズエルも動くことが出来ないでいた。
 次郎衛門も、エディフェルの背中からリズエルの腕が消え、赤黒い空間を目の前にして、何も出来なかった。

 リズエルは、懇親の一撃を次郎衛門へ打ち込んだ。
 次郎衛門は、それを受ける力は、残されていなかった。
 その場にいた誰もが、これで最後だと思った。
 だが、実際には…。
 次郎衛門が受けるはずだった一撃は、いつの間にかその場に駆けつけていたエディフェルの胸に、深々と突き刺さっていた。
 あまりに深い痕は、エディフェルを助けることは不可能だと言うことを知らしめるに足りた。

「ぃゃ…エディフェ…ル? 嘘よね、来られるはず、無いもの…」
 うわごとのように震える唇でつぶやくリズエルをよそに、次郎衛門は倒れ込んできたエディフェルの身体を抱き留めた。
 血は止まることなく、次郎衛門の膝を濡らした。
 生暖かい鮮血、例えようもなく咲き誇る紅い命の炎。その炎の、広がり散り行く花びらを、リズエルは例えようもなく美しく思い、脳天を痺れさせるような甘美な悦楽が身体を駆け上がるのを感じた。
 実の妹を手に掛けることを、悦楽と感じた。
 …甘美さと共に、その甘い陶酔はリズエルの理性に大きな負担を与えた。
「ぅ…うそよ…エディフェル…嘘よ、嘘よっ!」
 絶叫に近くなったリズエルの叫び声に、ようやくアズエルも正気を取り戻し、リスエルを押さえる。
「リズ姉、落ち着け! 落ち着くんだ、リズ姉ぇっ!」
「いやぁぁーーーっ! エディフェル、エディフェルゥーーーーーっ!!」
 焦点の合わないまま絶叫するリズエルの力が暴走しそうになるのを、アズエルは必死に押さえつけた。
「裏切り者の始末か、さすが我らが皇女。でも、私にまで黙ってというのは、いただけないな」
 冷たい声。
 突如の新人物に、リズエルも次郎衛門も、アズエルも振り向いた。
 いつからそこに立っていたのか、白い肌の美丈夫な青年だった。
 やや細めの感はあるが、切れ長の目元は、どことなくエディフェル達の顔立ちを思い出させた。
「ダ…リエリ…?」
 暴走しかけていたリズエルが、その男の名を口にした。
「っ! どうしてここに」
 アズエルは小さく舌打ちをした。
「何か、まずいことでもあるのか? 私が来ては」
 リズエルが落ち着きを取り戻し、冷たい表情でダリエリを見返す。
「別に。ただ、あまりこういったシーンを見せたくなかっただけよ」
 薄い笑みを浮かべるダリエリを、アズエルは苦々しく見返す。
「ならば、もうここに用はないはず。裏切り者の処刑は終わったようだしな。そこにいる混血の出来損ないも」
 そこで言葉を切ってちらりと次郎衛門を見る。
「どうせエディフェルの手助けがなければ、ただ暴れることしかできまい。それは我らにとっては、良い緊張感になるだろう」
 その言葉に反論しようとするが、次郎衛門には腕の中のエディフェルを抱き留めるだけですでに手一杯だった。
「…帰りましょう」
 すっかり落ち着きを取り戻したリズエルは、その場に背を向けた。
 ダリエリは、大きく跳躍して遠くへと姿を消した。
 それを追うように、リズエルも大きく飛んだ。
 ちらりと振り返りながらも、アズエルもその場を去った。

 場には、エディフェルと次郎衛門のみが、残った。



 運命の歯車は、すでに狂っていた。
 それを後押しして、崩壊の時を早めてしまった。
 ……その事にそれぞれが気が付くのは、まだ、もう少し先のことだった。

 陽は沈み、再び月が昇る。
 ただ静かに、月は天空にあって、すべてを照らしていた。