【Back】 【Top】 【Home】
Parlorさゆりんへようこそ!
第一部 『Parlorさゆりん開店準備中!』

 青い木々の枝から差す夏の日差しが、いくらか和らいだと思える頃、残暑見舞いとは別の葉書が一枚届いた。

『お久しぶりです、祐一さん。佐祐理です。
 今度、自分のお店を開くことになりました
 Parlorさゆりんへ、どうぞいらして下さいませ』

 思いもかけない人からの、予想もしない葉書。

「フルーツパーラーでもはじめたのかな。一つ、顔を出してみるか」

 そんな独り言を言い訳に、早く会いたい気持ちを押し込めて、その葉書を引き出しに仕舞った。

 …それが、はじまりだと知らずに。



「…………舞!?」
 葉書が来て数日後、休日の街を俺はいささか早足気味に、葉書に書かれていた住所へと向かっていた。
 大きい道路を渡り、小さい路地を抜けて、向こうの角から出てきた後ろ姿に目が引かれた。
 腰まで伸びた黒い髪を、相変わらず一つにまとめ、リボンで括っている。
 そして、腰に携えた剣は、間違いなく舞だ。前はそのまま持ち歩いていたが、今はちゃんと鞘に入れているようだ。
「おーい、舞! どこ行くんだ?」
 足早に駆け寄りながら声を出すと、切れ長の目がこちらを見る。
「…祐一」
 白い肌に映える黒髪が揺れる。
 黙って足を止めた舞の横へ着くまでに、そう時間はかからなかった。
「舞も佐祐理さんの所へ行くのか?」
 こくりと頷く。
「よし、一緒に行こうぜ」
「…祐一と?」
「そう、俺とだ。何か問題でもあるか?」
「…無いと思う。でも、祐一…」
 何か物言いたげな舞に、できるだけ優しく微笑みかける。…断られないように。
 俺は、舞と歩きたいから。
「祐一も、佐祐理の手伝い?」
「手伝い? なんだ、舞は手伝いに行くのか。それじゃ俺も何かしないといけないか…」
 俺の顔をしげしげと見つめると、舞は表情を変えずに歩き出した。
「判らないなら、いい」
「おい、置いていくなよ、舞!」

 早足で行く舞を追いかけて、歩幅を広める。思ったより早く追いつけてしまうことに、出会った頃からの時間の流れを感じながら、俺は歩いた。
 懐かしい、舞の隣を。



 広い駐車場は、太い道路の交差点の角に陣を取っていた。開店前だが、客の入りの良さは容易に想像できる。
 駐車場から店の入口までに飾られた数多の花輪には、幾つもの企業の名前が書かれている。

「なぁ、舞…」
「何、祐一」
「おまえは、知っていたのか?」
「…電話で聞いた」

 駐車場のアスファルトが日差しを照り返す。
 その熱気が歪めていても、その佐祐理さんの店は……。

「パチンコ屋、だよなぁ…」

 バルーンアートで飾られた入口、スマートな外観は一瞬そこが何の店なのかを忘れさせる。
 だが、ガラスの自働ドアの向こうに見えるのはパチンコの台と、椅子。端の方に自動販売機や洗面台、禁煙と喫煙に別れた座椅子が見える。
 おお、天上近くには大型のTVモニターも四隅に設置されてる。

「いらっしゃい舞、祐一さん」
 張りつくようにガラスから中を覗いていると、後から突然声がかかった。
 柔らかい声、このしゃべり方、振り向かなくても誰だか判る。
「こんにちわ、佐祐理さん」
 ガラスに手の垢が付いてないかをチェックすると、ゆっくりと振り返った。
「あははーっ、お久しぶりです、来てくれて嬉しいです」
 変わらぬ笑顔と変わらぬ緑のリボン。
 だが、変わった物が一つだけあった。
 それは……。

「何で袴ッ!?」

 ……そう、佐祐理さんの服装だった。

 佐祐理さんの袴姿は、以前にも見たことはある。卒業式の時だ。華やかさが、とても佐祐理さんに似合っていたのをよく覚えている。
 だが、今佐祐理さんがはいてる袴は、そのときとは違う。
 紫の矢絣の着物、茶色の袴。踵が高い編み上げブーツは革製だ。
 その姿は、容易に喩えることができる。たとえば、昔流行った少女マンガの主人公。またあるいは、一部の男性に熱烈な支持を受けるファミレスの制服。
 佐祐理先輩の今の姿を形容するのに、それらの言葉で充分事は足りる。

「あははーっ、舞も気に入ってくれたんですよ」

 無敵の笑顔で袖を振ってみせる佐祐理さんの向こうで、同じ姿の舞が頷く。
「…佐祐理の手伝いする」
「舞まで…」
 たしかに、来る途中にも佐祐理さんの手伝いをするって話していたな。
 だが舞の腕に、平たくて大きな紙包みが見えたとき、俺の本能が危険信号を発した。
 そういえば俺も手伝うって、そのときに言ったような…。
「じゃ、俺はこれで」
「ふぇ? もう行っちゃうんですか」
「いや、急用を思い出したから」
 佐祐理さんの声を背に、回れ右をして立ち去ろうとした俺の前に舞が回り込んだ。
 その瞬間、紙の包みの端から矢絣模様が見えた。
「まさか…」
 舞が頷く。
「開店サービス期間中だけで良いんです、お手伝いをお願いできませんか?」
 袴の上からもう一本巻いた細帯に通した剣の柄に手をかけて、舞は俺を睨む。
「佐祐理を泣かせたら、許さないんだから」
 抑えた低い声が、舞の真剣さを伝える。

 命あっての物種、そんな言葉が俺の頭をよぎった。
 袴を着るか、ここで果てるかを選べといわれたら、きっと人は皆、同じ選択をするだろう。いや、してくれないと俺が寂しい。

 かくして。

「あははーっ、似合いますよ、祐一さん」
「…誰かと思った」
 美女二人の声も、どこか空々しく感じられる。
 袴でこそ無いものの、青の矢絣の着流し…。非常に胸元が涼しい。
「これの着方は、本当にこれで良いのか?」
「そうですよ、胸元は大きく開けるのがポイントなんですよ」
 大正時代にでもタイムスリップしたような気分だ。…建物さえパチンコ屋でなければ。

「では」
 こほん、と一つ咳払いをして、佐祐理さんは胸を張り、俺達を見回した。
「皆さんを『Parlorさゆりん』のバイトとして採用させていただきますねーっ」
 元気のいい佐祐理さんの声が、誰もいない店内に響いた。

 …勘弁してくれ。
 そう心の奥から願ったが、睨む舞と縋るような佐祐理さんの視線に俺の願いは口に出ることなく、心の奥底にしまい込まれた。