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Parlorさゆりんへようこそ!
第2部 『Parlorさゆりん本日開店!』

 その日は朝からげんなりしていた。

 バイトとして入った俺と舞は、数日間の研修を経て、いよいよ本番の開店初日を迎えた。

 しかし、開店初日の店を開ける時間が早いのはかまわないのだが、どうして土曜の朝から年季の入った主婦がパチンコ屋の前に並んでいるのだろう?
 長い行列の中、バーゲンセールでもないのに思いの外高い確率で熟年の女性が居る。
 しかも、中に先頭集団に陣取っている人までいる。

「なんだかなぁ」
「どうかしましたか? 祐一さん」
 ブラインドの隙間から表を見ている俺を見つけて、佐祐理さんが声をかけてくれた。
 景品のチェック、店内の最終チェック、各部署に配置された社員との打ち合わせと、かなり忙しく働いている中でも、俺に気をかけてくるところが嬉しかった。

「佐祐理さんこそ、大丈夫? 昨夜からあんまり寝ていないんだろ」
「あははーっ、佐祐理は元気なだけが取り柄ですから大丈夫です。それに、こんなに忙しいのも初めの数日だけですから」
 普段はしないのに、今日は薄く化粧をしている。それはこの日のためなのかも知れないが、寝不足の疲れた肌を隠す意味も、多少なりは入っているんだろう。
「できることなら手伝うから、遠慮無く言ってくれよな」
「そのときにはお願いしますね、頼りにしていますよ」
「おう」
「あたしもいる」
「うぁ、舞!」
 俺と佐祐理さんが一緒にいるのを見つけて、舞が割り込んできた。
「もちろん、舞も頼りにしていますよーっ。今日は大変だと思うけれど、お願いね」
「…大丈夫。悪い人は切るから」
 腰に下げた剣に手をかける。
「切るなっ、悪い人でも切るなっ」
「…あははーっ、佐祐理はもう少し打ち合わせがあるんで行きますね。本当に宜しくお願いします、祐一さん」
「ああ、安心してくれ、佐祐理さん」
「あたしもいる…」
「舞、もう何も言わないでくれ」
 俺と舞とを交互に見て溜息を一つ落とした後、佐祐理さんはカウンターの方へと姿を消した。またレジや接客についての打ち合わせにでも行ったんだろう。
「舞」
「…なに?」
「今日は頑張ろうな、佐祐理さんのために」
 大きく、深く、舞は頷いた。
 本当に解っているのか確かめたかったが、とりあえず今はこれで良しとしておこう。

 開店10分前、店員は皆配置についた。
 俺と舞は同じ係で、吸い殻の掃除やドル箱の管理・客が帰る際に出したパチンコ玉を運んだりの雑用担当だ。いわゆるホール係と呼ばれる仕事だ。
 でも、今は入口に並んで入ってくる客を待っている。一番出口に近いところに、佐祐理さんも並んでいる。
 舞もおとなしく並んでいる。まぁ、頭を下げるだけで良いなら問題はないだろう。

「開店2分前です」
「シャッターを開いてください」
 佐祐理さんの指示で入口前のシャッターがゆっくりと上がる。…と、何足もの靴が見える。
 もちろん、靴の上には足と身体とが続いているわけだが、シャッタ−が上がるごとに、それらがひしめき合っていく。
 シャッターが外で並ぶ客の目線より上がったとき、俺は帰りたくなった。
 血走った目とは、ああいうのを言うのだろう。
 獣のようなとは、この時のためにある形容詞だろう。
 殺気を放ちながらもある種整然とした、理性を捨てる直前のヒトの群れ。ある意味、恐怖の権化のようなそれらは、ひたむきに自働ドアの開くのを待っていた。
「…祐一」
 声に顔を巡らせると、舞は戦闘態勢に入ろうとしていた。
「切っていい?」
「ダメだ。…ものすごく賛成したいが、ダメだ」
 顎で表の人間をさす舞に、俺はキッパリと言い放つ。
 できることなら、俺だって切って欲しい。
 だが、佐祐理さんに迷惑だけはかけられない。
「今日のところは我慢しておけ」
「…明日は良い?」
「明日もダメだ。やるなら月のない闇夜にしておけ。この店の近くじゃダメだぞ」
 ようやく納得したのか、舞の手が柄から放れた。
 それと同時に、店内に開店時間を知らせる音楽が鳴り響いた。

「いらっしゃいませ、『Parlorさゆりん』へようこそ!」

 元から録音しておいたテープが流れ、自働ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
 深く頭を下げる俺達の前を、人波が駆け抜ける。
 ああ、人が走ると本当に土煙が巻き起こるんだと妙に納得しながら、俺も隣に倣って頭を下げる。声を出しても出さなくても、喧噪に巻かれてもう解らない。

 怒濤のような開店から30分後、シートは全席埋まっていた。早い人はすでに一回目の当たりを出して、初めてのドル箱運びは舞がした。
 身軽で小回りの利く舞は、いろいろな体型の人が並ぶ中を軽やかにすり抜け、当たった人の目の前に空のドル箱を置く。
 その様を見た客の中からは多少の歓声がわき起こったりもした。

 それから数時間。昼食のために何人かが席を外した頃を見計らい、専用の掃除器を持って煙草の吸い殻の掃除をはじめる。
 もちろん、もっとこまめに掃除はしているものの、すし詰めの席の列へ入り込んで行けるのは舞とこの仕事の経験者くらいだったので、俺の出番は今頃になってしまった。
 飲みかけのコーヒーを置きっぱなしにする人、煙草を入れて席取りの代わりにする人など観察していくといろいろと面白い。

「あら、お兄さん可愛いわね」
「ホント、男前ねぇ。バイト? 休みはいつ?」
「あら奥さん、抜け駆けなんて。私も一緒に」
「良いわねぇ」

 熟女軍団の前では、俺にできることは乾いた笑いを顔に張り付けることくらいだった。
 動いて袷がゆるんだ胸元にじっとりと視線を絡ませ、ゆるんだ口元を隠しながら知り合いと俺の品定めをする。
 まるでセクハラされる女の子の気分だ。
「ねぇ、仕事がひけたら一緒に食事しない?」
「い、いえ、結構です、家に帰ります」
 真っ青になって俺は急いでその場を立ち去った。
「ま、かぁわいい」
 どっと笑いが起こったが、俺は振り向かずに逃げることのみを考えた。
 掴まったら取って喰われる、そんな脅迫観念を払拭できないままに。

「そろそろお昼休憩取って下さいね」
 またまた佐祐理さんが声をかけてくれた。
交代で昼飯を食べに行くことになっていたものの、忙しさに出るに出られなくなって食事を摂っていない人が多かった。
 もちろん、俺もその一人だ。
「数日間は仕出し弁当を頼んでありますから、控え室で受け取って食べてくださいね」
「ありがとう。でも、佐祐理さんは食べたのか?」
「あははーっ、佐祐理は一番最後で良いですよ」
「いや、それなら折角だから一緒に行こう。舞もまだだろう?」
 と、振り返ると真後ろに舞の頭があった。
「うぉ!」
「ご飯」
 なぜか持参の箸を持って、ぴったりと俺の後に立っていた。
「舞もこれから?」
「…佐祐理と食べる」
「待っていてくれたのね、舞」
 きゅるきゅると腹の虫が鳴く中で、舞は瞳を潤ませて頷いた。
 舞としては、ものすごく我慢した方だったのだろう。
「じゃあ、三人で食べような」
「あははーっ、久しぶりですね、三人でのお昼なんて」
「そうだな」

 俺達が控え室へ入ろうとすると、鉄の扉を押してカウンター係のお姉さんとホール係の何人かの人とが出てきた。
「あ、店長、お昼まだだったんですか?」
「色々用事を済ませたらこんな時間になっちゃいました。
 お弁当は美味しかったですか? 明日も同じ所で頼もうと思っていますけど」
「ごちそうさまでした、美味しかったです。それにあのお店って、この辺りでは特に美味しいお弁当屋さんじゃないですか、『仕出し弁当北川』って」

 それって、もしかして北川?

 部屋に入ると、がらんとした白い壁が眩しかった。
 会議室にあるような長机の上に置かれた箱の中には、俺達の分の弁当だけが残っていた。
「最後みたいだな」
「皆さん食べてくださったみたいで、安心しました」
 言ってるそばから舞が弁当を取り出す。
「…早く食べる」
 心なしかいつもより口調が早い舞にせかされて、三人並んで机の角に陣取った。寄り添うように肩が並べられる席だ。

 弁当箱を空けると、思ったよりも豪華な内容だった。
 幕の内だけれど、鶏肉やエビフライが大きめだ。
「おいおい、慌てなくて良いぞ」
「あははーっ、お茶もありますよ、舞」
 勢いよく食べる舞にお茶を差し出す佐祐理さん。
 その光景は本当に、学生時代を思い出させる。
 昨日のことだったように思えるのに、気が付いてみれば幾つもの季節を過ごしていた。
 お互いに別のものを見て、それぞれの道を進んできたけれど、こうやってまた並んで弁当を食べる日が来ると時の流れを感じてしまう。

「おい、俺のウィンナーをとっていくな」
「…ウィンナー美味しい」
「それは判っているからさ、俺のはとるなって」
「あははーっ。佐祐理のをあげますよ、舞」
「ダメ。佐祐理は食べないと」
「そうだぞ、佐祐理さんはもっとしっかり食べてくれないとな。俺も舞も、心配する」
「佐祐理は二人に手伝って貰えて、とても助かっていますよ」

 流石に少し疲れが見える佐祐理さんに、舞も気を使う。…気を使う影で俺と弁当のウィンナー争奪戦を繰り広げていることは、この際おいておくにして。
 ま、確かにこの弁当は美味い。割り箸にも店名が書かれているんだが、やはり北川の家なんだろうか。

「そういえば、佐祐理さんはどうしてこの店を開いたんだっけ?」
「お父さんのお知り合いの方からいろんな設備投資があったので、お父さんが建てたお店だったんですよ。
 ただ、お父さんは忙しい方ですから、お店に来ることができないので佐祐理に預けてくださったんです」
「じゃ、この店は佐祐理さんのお父さんの店なのか」
 その割には可愛い名前にしたなぁ。
「名義はお父さんです。経営の練習もかねてやってみるように言われたんですよ」
「よく頑張っているよ、佐祐理さんは。お父さんも喜ぶだろう」
「あははーっ、だったら嬉しいです」
 いくらか食べて元気になったのか、また佐祐理さんの顔に明るい笑顔が戻る。
 この笑顔あってこその佐祐理さんだろう。
「本当にできることは何でも言ってくれよ、バイトだから頼りにならないかも知れないけどさ」
「…佐祐理、無理をしたら悲しい」
 舞の言葉に、もう一度柔らかく微笑むと、佐祐理さんはこたえた。
「困ったときは、助けて貰いますね」
 俺も舞も、深く頷いた。