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いつか、青空
 眼を射る白い閃光に、手をかざす。
「今日は昨日より暑いねぇ」
 同じようにかざした詩子の手には、銀色の缶が。
「また詩子が開けてくださいね、その缶」
「ええっ、今日は振っていないよっ」
「だったら、開けてくれても良いじゃないですか」
 ひさしの下では、先にベンチに座って待っている上月さんが、スケッチブックごと両手を上げて大きく振っている。

「お待たせ、今日の主役さん」
 机の上に、抱えてきた箱を乗せる。ピンクの箱は小さいけれど、中身の品質については保証できる。
『ありがとうなの』
 また数時間後には部活の人達と打ち上げがあるのだろうけれど、今は特別に少し早い身内だけのお祝いをすることになった。
 もちろん、上月さんが出演した劇が無事に終了したお祝いだ。
 カーテンコールでは、一番拍手をたくさん受けていたのは上月さんだった。
「澪ちゃんって、人気あるよね。男の人のファンも多かったし」
 その拍手をしていた人達は、確かに男の人の割合が多かったのも覚えている。
『恥ずかしいの』
 目のすぐ下まで赤く染めながら、おずおずとスケッチブックを開く。
「そういえば、あいつもいたね」
「あいつ?」
 詩子の言葉に、無意識に身体がこわばる。けれど、それも一瞬のこと、すぐに思い違いだとわかる。
「うん、茜と同じクラスの変なヤツ。ずっと見なかったのに、最近は瑞佳さんと一緒にいるじゃない?」
「…折原浩平、君のことですか」
 名前を口に出すたびに、記憶が鮮明になっていく。
 ずっと以前にも会ったり話をしたことがあるのに、つい最近まで忘れていた人。思い出してみれば、何気ない事まで思い出してくる。
 そう、上月さんと会ったのも、きっかけは彼だった。
『いい人なの』
 にっこりとスケッチブックを見せる上月さん。
「…上月さんの言うとおりです」
 上月さんの今回の劇でも、会場の客席作りを手伝ってくれたと聞いた。
 思った通り、心の温かい人なのだろう、長森さんが待っていた人は。

 広げた箱の中からブランデーケーキを取り出すと、詩子がコンビニで買ったプラスチック製のナイフをくれる。上月さんが置いた紙皿に取り分けて、同じプラスチック製のフォークを添えれば、準備は終了。
 風も吹いていない今なら、そんな食べ方も良いだろう。
 上月さんのカフェオレの紙パック、詩子のグレープフルーツのミニペットボトル、私の缶ジュースと材質も中身も異なる飲み物で乾杯をする。

 暖かな、日常。

 隣にあいつが居ないことが切なくなるほど、幸せな日常。

「あ、茜、来る途中であいつに会ったから、この場所を教えて置いたよ。あいつ、茜に会いたがっていたから」
 ケーキをすでに半分以上食べてから、思い出したように詩子が口を開く。
「あいつ? 折原君ですか?」
 探されるような覚えはないはず…。長森さんの事で、何かあったんだろうか。
「違うよ。あいつって言ったら、あいつだよ」
 判らないことを詩子が言うのはいつもだけれど、今日は格別に判らない。

「ほらっ、来たよ、あいつ」
 詩子の声と伸ばした指先につられて、私は振り向いた。

 その先に見える光景を、信じられなかった。
 もしくは、夢を見続けているのかと。

 手をかざして、こちらを見て。
 笑うと、細くなった目尻が少し下がる。

 繋ぎ止めていた記憶は解放されて、今鮮明に新しい映像が心に広がる。

「還ってきて、くれたんですね」
 自分の中にあった想いが溢れて、心を満たしていくのが判る。

「ただいま」

 聞きたかった言葉が、聞きたかった声で、聞きたかった人の口から発せられる。
 夢でも、別の世界でもなく。
 日常の中で。

「おかえりなさい」

 本当に幸せな日常は、動き出した。
 大好きな人を隣に。