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出会う前に想う空
〜神尾観鈴〜


 海は凪いで、日差しを水面に反射させて煌めいていた。
 眩しさが眼に痛く、心地良い。
 いつもの場所、いつもの特等席、わたしが大好きな堤防の上。
 山と海に囲まれたこの町で、わたしはこの場所で見る光景が一番好き。
 むせ返る暑気の中に時折混じる心地よい風が、頬を撫でていく感触も大好き。
 好きなものに囲まれていると、元気が出てくる。
「よしっ」
 うんっ、と背伸びをすれば、スカートを風がはためかせる。
 慌ててスカートを抑えるけれど、見ているのはアリさんだけだった。
 さっきは鳩がいたけれど、私が駆け寄ったらあっちこっちに飛んでいってしまった。
「仲良くなれると思うのにな…」
 一人言葉を漏らす。
 目一杯に広げた翼が風を孕み、その身体を青い空へと溶けさせる。その光景は眩しくて、その存在はどこか自分と近いような気がしていた。

 腕を広げれば、私の身体を風が抜けていく。そのまま羽ばたけば、空へ行けるのかな。
 …あの、頭上を遠く高く飛ぶ鳥のように。
 そのことを思い浮かべながら、わたしは目を閉じる。
 風の匂い、潮の香り、心を持って行かれそうな高揚感の先に見えてくるのは、夢の中と同じ世界。

 夢の中では、わたしの背中には大きな翼がある。
 足下に広がる雲と、頭上に広がる青空だけが、わたしを取り巻いている。

 起きた後のわたしは、その世界がある天上を見上げることしかできないけれど、大空を目指せる翼がある生き物なら、そこにいるわたしに会えるのかも知れない。
 翼を持つ鳥は、自分に一番遠くて近い存在。そして…。   
 わたしと仲良くしても、苦しまないでくれるかも知れない存在。

「あっ…」
 自分の考えに、さっきまで落ち込んでいた理由を思いだした。
もうすぐ夏休み、みんな友達と遊ぶ約束をしてスケジュールを埋めていく。
 今の時間は今しかないことをみんな知っていて、あと何回こうやって夏のスケジュールを組める機会があるのかも知っている。
 もちろん、わたしだって判っている。わたしの「夏休み」は、残り少ないって事を。
 だから、みんなのスケジュールの中に、わたしも混ざってみたかった。『一緒に遊ぼう』って、『楽しい夏休みにしようね』って、その言葉が言えなかった。
 言えなかったのは今日が初めてじゃない。期末テストの話が出て、雨の続く日が終わった頃から、ずっと言えないでいる。
 どんなに楽しそうに話している人でも、わたしが近寄れば話をやめてしまう。
 …わたしが嫌いだからじゃなくて、わたしに対して緊張してるんだって判ってる。
 張りつめた空気が、胸にいたい。 不安げに見上げるその表情が、わたしの言葉で曇ることが恐い。
 一緒にいたいと願うことが、相手の迷惑になることが悲しい。
 
 遠くになるほど色が薄れていく空の青を見ながら、夢の中にいるもう一人の「わたし」を思い出す。
 地上のわたしも独りだから、空の上にいるわたしも独りなのかな。
 もし、わたしが独りぼっちじゃなくなったら、どうなるんだろう。
 そのときは、どんな感じがするんだろう。

 風は、向きを少し変えていた。
 空の色も、青から朱へと移っていた。
 時間は流れていく。空のわたしを残して。

 わたしは堤防から飛び降りると、そのまま駆けだした。
 今日は手の込んだ夕飯を作っておくって、お母さんと約束していたんだった。

 うしろで、風もないのに大きな音がした。振り向いても木の枝が数本落ちていただけだった。
 ただ、風の中で、何枚か黒の混じった羽が飛ばされていった様に見えた。

…わたしはその場を後にした。

 襟元についた柔らかい羽毛に気が付いたのは、家に帰り着いてから。そして、その主がわたしと出会うのはもう少し後から、だった。