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明け方に舞う
鳥の羽の行く先

〜国崎往人〜


 雨が降っているのかと思った。
 波の音に重い瞼を上げれば、辺りはまだ薄暗かった。
 身を預けた大木が、風に枝を揺らしている。薄暗い空を見上げれば雲一つなく、昼はまた暑くなりそうだった。
 上着を羽織るだけで夜を過ごせるこの時期が、独りで旅をしている身には一番ありがたい。
 だが、外を行く身の上では猛暑はこたえる。
 ここ数日、暑い日が続いているので、睡眠をとって身体を休ませておきたいところだったのだが。
 …医者にかかる金の無い俺には、少しの病気も大問題だからな。
 しかし、今夜の波の音はいやに耳について、すぐには眠れそうにないようだ。
 服に顔を近づければ、潮の香りが染みこんでいるのが判る。
 そういえば小さい頃は、その感覚が自分を別のものに塗り変えていくようで、あまりいい気はしていなかった。
 今でこそそれほど嫌ではないが、以前はあまり好んでいなかった。
 その感覚を味わうたびに、大切な何かを忘れているような、やらなくてはならないことを放っているような、後ろめたさを含んだ焦燥感が俺を苛立たせるからだ。
 その焦燥感の答を見つけることも、旅の目的の一つになっているのだが。

 と、寝苦しさに伸ばした手に触れたのは、長い旅路を共にしてきた、古ぼけた人形だった。
 手足があるだけの、簡単な作りの人形。俺が物を念じて動かす練習に、一番使った人形でもある。
 初めて母から受け取ったときには、両手に余ったことを覚えている。それが今は俺の手の平に隠れてしまう。
 俺は人形を両手で包み、軽く額に押し当てた。
 そのまま目を閉じ、母の姿を思い描く。心の中に、暖かなものが込み上げて、心が落ち着いていく。やすらぎ、という言葉がその感覚には一番当てはまるのだろう。
 …独りになったばかりの頃には、よく繰り返した行為だ。
 泣き方も判らないまま、彷徨うように旅をしていた頃の話だ。
 もっとも、彷徨うように旅をしているのは、今も変わっていないのかもしれない。

 彷徨って、彷徨って…、いつの間にか身体は大きくなり、求める相手には会うこともなく、母から教わった『力』で生きていくことにも慣れた。
 もう、外見上は立派な大人だ。なのに、追いかけているのは会ったどころか、存在するかも怪しい人物だ。
 …空にたった独りで立つ、翼を持つ少女…。
 母も、そのまた母も、空に取り残された少女のために旅をしていたと聞かされた。
 そのときから、俺もまた翼を持つ少女のための旅を始めていた。
 話を聞くたびに脳裏に浮かぶのは少女の泣き顔、その頬に流れる幾筋もの涙。
 確証はないのに、そのイメージ俺の心に色濃く浮かび上がる。
 その涙を止める事ができたなら、今は居ない母も喜んでくれるのだろうか。
 それとも、少女の元ですでに母は微笑んでいるのだろうか。

 俺の知らない事はたくさんある。空の少女も、母のことも。
  この旅路の終わりには、それらを知ることができるのだろうか。

 焦燥感と胸の高鳴りは、いつの間にか俺を完全に眠りの世界から引き離した。
 
 空は明けの明星が輝いている。
 旅の行き先は決まっていない。
 目的は、空にいる少女。
 手元には、小さな人形が一つ。
 
 大きな音と共に枝から飛び立つ山鳥が、頭上の葉を散らした。
 その身体が海の向こうの山間に消えて、ゆっくりと数本の羽が目の前に降りてくる。
 差し出した手の上で、羽がくるりと回って着地する。

 俺は荷物を背負い、歩き出した。
 羽が指し示す山の向こうへ。