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冬来たりなば


「勝負形式は言ったとおり。七瀬一人でこちらの代表3人と闘って貰う」
「止めなさいよね、そんなの卑怯よ!」
「七瀬が腰を痛めてまともに戦えないのは知ってるんでしょう!」
「だからだ!」
 女子のブーイングを、審判役が一喝した。
「まともに戦えないヤツが部長で、俺たち剣道部は良いのか?! 自分で戦えないヤツに従って苦しい練習して、本当に良いのか?」
 自分たちの、正論と思える部分のみを言っているのだが、筋が通っている分女子達には反論の仕様がなかった。
「良いのよ、みんな。こう言うときが来るんじゃないかって思っていたし」
 七瀬はそういうと、面を被った。
「でも…」
 そういわれては、口を挟める者はいない。
 女子達は男子部員に押されるままに、体育館の壁際へとよった。
 七瀬の前に、部員の中でも比較的実戦で勝ち残ったことのある部員が立つ。
 お互い、位置に着くと竹刀を合わせ、立ち上がる。
 夕刻の、喧噪が薄れていく黄昏時。体育館のあかりは、点けられたばかりだった。

 その場の全員が、固唾をのんで審判の声を待った。
 …だから、誰も気が付かなかったのかも知れない。窓の外で、赤いリボンが揺れたことに。

「はじめっ!」
 審判の旗が振られた。


 ルールはオリジナルで、最初の2人とは1本勝負、最後の1人とは3本勝負で2本先取。そのうちの誰か一人に負ければ七瀬は退部という、一方的なもの。
 1人目との戦いでは、七瀬の振るった竹刀の軌道を追うことが出来た者はいなかった。
 真っ直ぐに振られた竹刀は、相手の脳天を捉え、小気味よい音を体育館内に響かせた。
 その一閃には誰もが驚愕し、感嘆した。一瞬遅れて七瀬の旗を揚げた審判も、文句の付けようのなさに舌打ちをした。

 2人目は、開始と同時に七瀬との間合いを広げ、七瀬の踏み込みを待つ戦法を取った。腰の弱い七瀬では思うように踏み込めない、そこにつけ込むつもりだった。
 が、七瀬は相手の間合いギリギリまで踏み込んだ後から、面と見せかけて竹刀を上げさせ、空いた胴に竹刀をたたき込んだ。
 1人目で見せた面があってこそ生まれた、その隙をついたのだ。

 そして、3人目。
 そこまでは1本が確実に、そして短時間で取っていたが、流石に最後の一人は簡単にはいかず。
 1本目を時間切れ、判定で男子の勝ちにしたところで、審判がいやらしく笑った。
 そして2本目。
 竹刀を振るふりをしながら逃げ回る場内の端に相手を追いつめ、何とか竹刀を相手の肩に入れたところで時間切れ、今度は判定勝ちを取り返した。

「卑怯だよ、こんな試合で退部かけちゃダメだよ」
「ううん、良いって。弱い部長じゃ、厳しい練習に付いていきたいって思わなくても仕方ないし」
 汗が飛び散った床を、何人かの部員達がモップで拭く。
「だって、七瀬は……」
「私だって、辞める気はないから大丈夫」
 荒い息を整えながら、七瀬はまき直した手拭いの上に面を被りなおす。女子部員の一人がその紐を結ぶのを手伝う。

「そろそろ本気でやっても良いんじゃないか?」
 団扇で選手を仰ぎながら、審判役が七瀬の方を見る。
「狙い通り、かなりばててきてるぜ。次は速攻で決めた方が効果ありそうだし」
 仰がれながら、選手も頭の手拭いを替える。
「そうしてみるさ。しかし鬼、流石に簡単には勝たせてくれないな」
「本当、アレで腰を痛めて試合出られないって言ってるのかって思うけどな」
 一瞬、その場の全員が口を閉ざす。心の中をよぎる感情と言葉を出しおてしまわないように。
「ま、何にしろ、これが最後だ」
 その言葉を最後に、選手は面を被った。
 それとほぼ同時に、床も拭き終わった。

 陽はとうの昔に沈み、空にはオリオンが瞬いていた。
 月明かりの中、息を切らして走る影が一つ。
 その影の主は、乱れた息のまま勢いに任せ体育館のノブを回した。

「何をしている!」


 戦いは、ものの数秒でかたがついた。
 開始の合図と同時に、床を強く踏む音が重なり、竹刀が防具を叩く音が重なった。
 その二つの音の余韻は、静まりかえった体育館の隅まで響き、場の静けさを強調した。
 …誰も言葉を発しなかった。
 …防具の中に隠された七瀬の口元が、寂しそうに笑む。
 竹刀は、片方は相手の左肩を、もう一方は相手の脳天を捉えていた。その体勢になってしばらくの時間をおいてから、ようやく審判の旗を動かす。
 …その旗は、七瀬とは逆の方へと掲げられた。
 同時に起こる男子の歓声と、七瀬に駆け寄る女子部員。
「七瀬、ダメだよ!」
 防具を外す七瀬にしがみつくように、女子部員は七瀬を押さえた。
「大丈夫、良いんだよ」
 防具を外すと、審判役の男子へと進み出て、退部届けを受け取る。
 そうして、七瀬は振り返らずに体育館を出ていった。

「これで厳しい練習から解放される! ざまぁみろだな、鬼七瀬」
「何言ってんのよ! あんた達、自分でしたことがなんだかわかってるの!?」
「何だよ、お前達も辛い練習は嫌だろーが」
「そうじゃない、七瀬は……っ!」
 男子と女子の口論、そのただ中に、来訪者は訪れた。


 冷えた夜の空気をまとった来訪者、葛西が。