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Parlorさゆりんへようこそ! 第3部 『Parlorさゆりん波瀾万丈!』 |
開店記念の1週間連続キャンペーンも半ば、そろそろ俺の身体も仕事になれて、自分がいつ、何をすれば効率がいいのかも解ってきた。 人の胸元を覗いたり、逆ナンパしてくる熟年女性の皆さまのあしらい方もだんだんと解ってきた。 評判はいいし、従業員の雰囲気も良い。空調の設備に至っては、『佐祐理さんのお父さんの知り合い』という業者の最新式のものを大量に使っていて、煙草の匂いや煙が店内に充満しないしパチン玉の音もそれほどうるさくない。 それでもドル箱に入った出玉は俺達従業員が台車で運ぶようになっている。ここはオートメーションにしなかったそうだ。 外を見ると暗い空に星が見えた。会社帰りに寄ったサラリーマンは、この時間に帰るか最後まで粘るかのどちらかだと見ていて覚えた。 島の中を見通しやすくなったところで、一人の女性が目に付いた。 「さぁっ、来いッ!」 ものすごく気合いが入っている。 はじかれた玉がスタートチャッカーに入り、版面中央のルーレットがまわり出す。 「よしっ、そのままだ、回れ!」 両隣も背中側の席も空席なので心おきなく声を出しているのか、元から声を出していたから周りから人が離れたのか、とにかく尋常でない気迫でパチンコの版面をにらみつけている。 「来たッ!」 その叫びと共に、台が光を放つ。 ルーレットの数字が一つ、二つ、そして三つと揃い、さらに揃ったままで回転をはじめる。それは大当たりが来る予兆だ。 女性の祈るような、うなるような声に合わせて数字が入れ替わり…。 「そこだっ!」 気合いと共に数字が動きを止める。 …スリーセブン、大当たりだ。 と、同時に俺はドル箱と大当たりを示す札を取りに駆け戻る。 数分と経たずに女性の元へ走り寄り、札をつけてドル箱を…置こうとして驚いた。弾き出されたパチンコの玉が、ぎっしりと弾の出口につまっていたからだ。 「ドル箱を下に置いて、このレバーをひいてください」 溢れて台がストップする前に玉をドル箱へと流し込むと、女性は感嘆しながら頷いた。 「ほう、そうするのか。ありがとう青年、次は自分でする」 「パチンコは初めてですか?」 「いや、何度かやってはいるが、随分と昔の話でね。こんな長い時間パチンコをやる機会もなかったしな」 黒髪がさらりと揺れて、その前髪から切れ長の瞳が覗く。いささか冷たさを感じるものの、端整な顔立ちをした女性だ。 白っぽいタイトスカートのスーツ。 近付くと、ほんのりと…香水とは明らかに質の違う、でもどこかで嗅いだ覚えのある匂いが漂う。 「そうでしたか、本日は当店をご利用いただきありがとうございます」 「いや、別に。商店街を歩いていたら、この店の広告が貼られているのを見てな。景品に妹が喜びそうなものがあったから、ちょっと寄ってみた」 妹、という言葉を口にする瞬間、ほんの少し照れたように視線を逸らす仕草が、顔立ちとアンバランスながらかわいらしい。 「では、どうぞ頑張ってくださいね」 すでに一箱目が満杯になろうとしているところへ空箱を差し込み、玉が満杯になったドル箱を、女性のすらりとした足下へ置く。組まれているので、ちょっと目線を上げれば凄く良いモノが見えそうだ。 「…どうかしたか、青年」 「い、いえ、では引き続きお楽しみください」 目線をどうしようかと躊躇っているうちに、女性に気が付かれてしまった。冷ややかな視線から逃げるように、俺は別の島へと入り込んだ。 しかし、美人だったなぁ…。 「…祐一、スケベ」 「うわぁっ」 背後からいつの間に近付いたのか、舞が声をかけてきた。 「ま、舞か、驚かせるなよ」 「…祐一、鼻の下長い」 「何ッ」 つられて鼻の下から口元を隠してしまった。そんな俺を見る舞の目がなおさら険しくなる。 「あははーっ、さっきの方、美人でしたよねーっ」 振り向いている間に、佐祐理さんが前から来ていた。 前門の虎、後門の狼といったところか。 「………」 「あははーっ」 舞も佐祐理さんも、一見いつもの通りに見えるが視線が冷たい、声も乾いた感じがする。 俺は、愛想笑いを顔に張り付けて、急いで時計を探した。幸いにも終業時間までもう三十分もない。 「仕事がひけたら、美味いもの食べにいこうか」 「…チャーシュー麺」 「あははーっ、祐一さんのおごりですねーっ」 そう来ることを予想済みで、俺は大きく頷く。 「ああ、美味いのをごちそうするから、楽しみにしていてくれ」 二人が笑顔で頷くのを見て、俺はようやく胸をなで下ろした。 「あははーっ、美味しいですーっ」 「……」 商店街の端の方にあるラーメン屋に、俺達は並んでラーメンをすすっていた。 屋台風ラーメンというふれ込みで聞き及んでいたので、一度は行ってみたいと思っていた店だ。ただ、入る直前、舞はともかくおっとりとして上品な佐祐理さんを誘って良かったのだろうかと、自問自答はしたが。 そんな自問自答も、今の佐祐理さんの笑顔を見れば杞憂だったとわかる。舞に至っては、一心不乱にラーメンのスープと大量の具に戦いを挑んでいる。 「あ、そうだ。今週末は金曜から一日ずっとバイトに来られるから」 「ふぇ、祐一さんの学校はどうしたんですか?」 「創立記念日ってヤツだ」 「だったらお願いしたいですけど…祐一さん、負担になりませんか?」 半切りのゆで卵を舞が食べこぼすのを拭きながら、佐祐理さんは俺の顔を伺う。 「全然。逆に、もっとバイトしたいくらいだよ」 そこで胸を張ってみせる。 「祐一さんは、なんでそんなにバイトを?」 「まぁ、今住んでいる所って、親戚の家だからさ。良くしてくれるけど、いつまでも世話になってばかりもどうかと思って、部屋を借りたいと思ってるんだ。 …それに、佐祐理さんの手伝いなら喜んでやるし、こうやって三人並んでいられる時間が増えるのも嬉しいから」 佐祐理さんの頬が赤らんでいるのは、店の薄暗い照明のせいか、俺の言葉のせいか。 「そういって貰えると、嬉しいです」 「いや、でも、部屋は早めに借りたいと思っていたから」 「佐祐理も応援しますよ」 外へ出れば、空には藍色の空が広がる。明るく照らす月に、たなびいた雲がかかる。 帰り道からは外れるけれど、俺達はのんびりとネオンの少ない方へと歩き出した。 車の音の代わりに虫の声、ネオンの代わりに蛍の光が見えるところまで来ると、誰からともなく足を止めた。 寂れた狭い子供用の公園を見つけて、俺達はベンチやブランコに腰を下ろした。 「佐祐理さんは凄いよな、その若さでもう店を持つんだから」 俺の声に、佐祐理さんが俯く。その横顔に、蛍がすれ違う。 「そんなこと無いです。実質的にはお父さんのお店ですから。私が店長として働いていられるのは、お父さんがそうしろと言ってくれる間だけです」 声の響きは淡々として、自分のこれからが親によって決められてしまうことを諦めているように聞こえた。 だが、諦めていないことは、佐祐理さんの小刻みに震える肩が物語っていた。 佐祐理さんの父親は、地元ではかなり有力な代議士だそうだ。この近辺に住む大人で、名前を知らない人は居ないほど。 以前佐祐理さんから聞いた話によれば、だいぶ自由にさせて貰えているようだったが、それでもそれなりに不自由はあるのだろう。 ……佐祐理さんを……。 それは烏滸がましいことだと判っているけれど、俺は佐祐理さんを…守って上げたい。 そのために俺ができることは、一つだけある。なのに、それを口にする勇気が無い。 俺は佐祐理さんと…。 「佐祐理、寂しそう」 口を尖らせて、舞は佐祐理さんをつつく。 「…三人で暮らせばいい。祐一と、佐祐理と、私で」 勇気が無くて言えなかった言葉を、舞はこともなげに口にする。 すぐさま佐祐理さんを見ると、縋るような困ったような顔で俺を見ていた。 「舞、そんなことを言ったら…祐一さんに迷惑です」 言葉と裏腹に、視線は俺の一言を待っていた。 「佐祐理さん…」 「は、はいっ」 身を固くする佐祐理さんに近付いて、そっと頬を撫でる。佐祐理さんの肌に触れるのは、これが初めてだ。 柔らかくて、吸い付くような肌触りだ。 「俺も、舞と同じ事を言いたかったんだ。 親戚の家にいたって、本当は困らない。それでも出たいと思ったのは、俺っていう人間が世間で何処までやっていけるかを知りたいって言うのもあるんだ。 秋子さんに頼めば、仕事も探してきてくれる。名雪に声をかければ、人間関係も何とでもなる。 でも、そうじゃなく自分一人で何ができるのかを試したくなったんだ」 自分で言っていて、青臭さに恥ずかしくなりながら、俺は言葉を続けた。 「頼りにするけれど寄りかかるんじゃなく、協力は頼むだろうけれど甘えるんじゃなく、俺は居候って立場から抜け出したいんだ。 …あんまりたいそうな理由じゃないけれど、もし、そんな俺とでも良いなら、舞の言うとおり三人で住めたらいいなと思う」 言い終えた後、恥ずかしさに顔を背けてしまったが、佐祐理さんが息をのむ気配は感じられた。 佐祐理さんが喜んでいるのか、悲しんでいるのか、または困っているのか…。確かめたい気持ちと恐い気持ち、そのジレンマが俺を動けなくしていた。 虫の羽音の大きさに気が付くほど静かな世界では、微かな衣擦れの音さえ響いて聞こえた。 「…祐一さん」 言葉に、俺はゆっくりと振り向く。見なければならないものが、自分の望みと重なってくれるよう、祈りを込めて。 「祐一さん。佐祐理は…」 俺の視線の先にあったのは…。 「…佐祐理は、幸せです」 佐祐理さんの、満面の笑顔だった。 目尻が少し光って見えたような気がしたけれど、確かめるのはやめておいた。 その日から、俺達三人は同じ目的のために働きだした。 隣に立つ一つ上の正社員の人も、カウンターに立つ人も、怪訝な顔をしていた。 たぶん、俺も同じ顔をしていることだろう。 その理由は簡単だ、土曜の朝からガラの良くなさそうな団体が店のシートを半分近く埋めているからだ。 昨日から連続で来ているのが、知り合い同士らしくお互い大きな声で話し合っている。その声も低く大きくかなり耳障りになっていて、他の客もちらちらとその団体を伺っている。 本当ならお引き取り願いたいが、うるさいとか団体で見た目が恐いというくらいではそうして貰うわけにも行かない。 「ふぇ…」 昼食を摂りに部屋へはいると、明らかな困り顔の佐祐理さんといつもと変わらない顔の舞が並んで待っていた。 舞はそれでこそ舞といった感じだが、流石に佐祐理さんはいつものように笑うわけには行かないようだ。 「あの団体、何なんだろうな。嫌がらせに見えるんだけど」 「そんなことをされる心当たりを考えてみたんですが…佐祐理には思いつきませんでした。働いてくれている皆さんも、お客さんも恐がっていますけど…」 「かき入れ時の週末に団体で来て、パチンコよりも話に力を入れてるなんて」 「もう一度、調べてみますね」 けなげに笑顔を見せるが、眉根が寄ったままだ。 舞が睨んでいたからじゃないけれど、その場はとりあえず他の話にかえた。 「このままだとやばいよなぁ」 閉店の店内掃除中に聞こえてきた声に、俺は耳を傾けた。喋っているのは同じフロア係の人のようだ。 「ああ、あの団体だろ? 邪魔だよなぁ」 「暴力こそ振るわないけれど、あれじゃ営業妨害だよな。あのまましばらく来続けられたら、他の客が来なくなるぜ」 「この店、パチンコ店にしては設備がいいから働きやすかったのに、もう次の仕事考えておくようかな」 そこまで聞いて、俺はその場をこっそりと離れた。 このままだと、客足も遠のけば従業員も離れるの悪循環が始まってしまう。 なんとかしなければと、気ばかりが焦るが俺にできることは掃除を続けることぐらいだった。 情けなさをかみしめながら、台のガラスを拭いて回った。 何とはなしにいつもより肩が重いような気がして、いつもよりゆっくりと夜道を歩いていると、暗がりから伸びた手が俺の目を覆った。 「うわぁっ!」 「わぁっ!」 俺の声に相手も驚いて悲鳴を上げた。同時に覆っていた手も外れて、相手が誰なのか確かめることができた。 「なんだ、北川か」 仕出し屋の…と言いたくなったが、それは抑えておこう。 「ああ、驚いたぞ、そんな大声出すから」 「それはこっちのセリフだっ」 ちょくちょく会ってはいるものの、夜道でこういったことをされるのは初めてだ。 「それより、北川はこんな時間にどうしたんだ? 家は別の方向だろ?」 「ああ、映画を見ていたんだ。遅くなったと思いながら歩いていたら、調度面白そうなヤツが通りかかったから、驚かそうと思って」 「ああ、充分驚いた。これで満足か?」 「い、いや、そういえば相沢はバイトやっているんだってな、パチンコ屋の」 俺の握った拳に視線をやりながら、北川は引きつった笑いを浮かべた。 「何で知ってるんだ?」 とりあえず拳を下げると、北川は安心したように俺の方へと向き直った。 「ネットで見つけたんだ。制服系の店のレポートをのせているホームページで。 たしか、女の子は袴で男は着流しだって、写真が載っていたぞ」 「誰の写真だ?」 「お前と、黒髪のちょっとつり目の美少女」 俺と舞か。 「どんなことが書いてあった?」 「着流しの、はだけた鎖骨が色っぽすぎて押し倒したいって書かれていたぞ」 「何ぃっ!」 俺の貞操、もしかしてピンチなのだろうか。 「まぁ、パチンコ系のホームページでも取り上げられているらしいし、結構人気があるみたいだな。今度遊びに行くから、いる時間教えてくれよ」 「へぇ、そんなに人気があるんだ、うちの店って。来るなら、明日だったら朝から夜までいるぞ」 人気をねたんであの団体が来てる…って事は考えられないかな。 「じゃ、明日の午後にでも行くから楽しみにしてくれ」 手を振って別れた後、俺は先程までよりは軽い足取りで家路につくことができた。 明けて日曜日。 団体は今日も来ている。並んで待っていたのだから、何時から来ていたのか予想もつかない。人数が更に数人増したようだ。 もう夕方の五時だと言うのに、いっこうに出ていかない。 佐祐理さんに昨日の話をしてみたが、首を横に振られた。 パチンコ業界関連の協会に入っていて、商工会にも入っている以上、同業者や地元商店街から妬まれて何かをされることは無いだろうと言うことだ。 近隣に住宅もなく、佐祐理さんの父親関係の方も考えたが、この店のオーナーが佐祐理さんになっているのに、父親の会社ではなくこちらに嫌がらせをするのも不自然だろうとも話をした。 「打つ手無し、か」 このまま連日来られて、店が廃れていくのを見ているしかないんだろうかと考えると、自然と背中が丸くなる。 「元気がないな、青年」 凛と通る声が、俺の背筋を伸ばさせた。 振り向くと、予想通り先日の女性が立っていた。 「いらっしゃいませ」 「ああ。ところで…急に客層が代わったな、随分と制服と不釣り合いな客が来るようになったようだ」 実はと口を開きかけて、そのまま口をつぐんだ。客であるこの女性に事情を話しても、不安をあおるだけだろう。 「どうぞ気にしないで打っていって下さい」 「気にするなと言われても、どの席に座っても隣がそういう輩になるようだが」 その言葉通り、例のご一行は席を一つおきに座って、隣のまた隣と話をする。一人では一、二回しか喋らないので、注意をすることもできない。 「まぁ、良い。欲しいぬいぐるみさえ手に入れば、特に問題はないからな」 俺の様子を見てか、軽く頷くと空いている席へと歩いていった。 絡まれたりせずに打ち始めたようなので胸をなで下ろし、ガラスを磨こうと雑巾置き場を振り返ると…そこから舞がこちらを見ていた。 「お、舞もガラス拭きか」 ここはできるだけ友好的にしておこうと、笑顔を向ける。 …が。 「…今夜はカツ丼がいい」 ぼそりとそれだけ呟くと、舞はそのまま去っていってしまった。 …天丼といわれなかったのは、舞の慈悲だったのかも知れない。 時計の針は七時を指したが、店内から人は減らない。 正しくは、普通の客は少し減っているが団体は減らない、だが。 団体は特に当たりを出そうとするわけでもなく、煙草を吸い散らかすわけでもないので、フロア係の俺達は暇をもてあましていた。 「祐一、何かして」 舞までこんな事を言い出す始末だ。 「祐一さん、お腹空きました」 佐祐理さんまでこんな事を言い出す始末だ。 「って、佐祐理さんっ!」 「あははーっ、さっきから目の前にいるのに気が付いて貰えなかったので、舞の真似をしてみました」 そこまで俺は気が抜けていたのか…。 「で、佐祐理さんは様子見に出てきたのか?」 「様子見は様子見なんですが…」 佐祐理さんはほっそりとした指を伸ばして、台の上で光る赤いランプを指した。 「トラブルが起こっているようなので、見に来ました」 たしかに、サイレンのように赤く回転しながら光るそのランプは、台に何かトラブルがあったときの警告だ。 それに気が付かなかったとは、本当に気が抜けていたようだ。 「俺も行きます」 「お願いしますね」 舞も無言でついてきて、総勢三名でランプの下へ走り寄った。 最初に目に入ったのは、大きな背中だった。団体の一人だ。 二番目に気が付いたことは、そいつが立ったままの状態で例の女の人を台に押さえつけていることだった。 「何かありましたか、お客様っ!」 ワザと大きな声をかける。が、まわりがそいつの仲間なので牽制にもならない。 「ああ? 俺は何もしていないぜ?」 「うそを言うな、私を台に押しつけただろうっ!」 「ちょっとぶつかっただけじゃないか、ねぇちゃん」 言いながら、男は女性に身体を押しつける。大きな胸が男の胸板に擦られ押されているのが、俺の位置からも判った。 「ぶつかったのなら、もう離れてください」 俺が近寄ろうとすると、男は更に女性へ身体を押しつけた。 「くっ」 小さなうめき声が聞こえる。女性の顔も苦痛に歪む。 「いやぁ、通路が狭くてね」 しゃあしゃあと答えるその姿に、俺の我慢はとうとう限界が来た。 「佐祐理さん、アレはハラスメント行為として対処して良いですよね」 相手に判らないようこっそり耳打ちすると、佐祐理さんは小さく頷いた。 「佐祐理は防犯カメラのテープをチェックしてきます。すぐ戻りますから、それまで相手をここに…」 「足止めしておけばいいんだな、判った」 佐祐理さんの姿を隠すように仁王立ちになり、俺は男をにらみつけた。 「どこ行くんだい、お嬢さん」 背後での声が、うめき声に変わる。 「なっ」 振り向かなくても判る、佐祐理さんに手を出そうとする存在を、舞が見過ごすはずがない。 「…佐祐理を泣かせたら、許さないんだからっ」 「剣だと?!」 まわりがざわめきだつのを感じる。まさかパチンコ屋のバイトが本物の剣を腰につけて歩いているとは思っていなかっただろう。 取り巻く空気が一気に不穏さを増し、そうなる前に佐祐理さんが脱出させることができて、とりあえず自分の『男』は立ったと思う。 「手ぬるいことはやっていられないようだな」 男が女性から体を離し、すぐさま後から抱えるように片腕でおさえる。 「下手に動くとこの姉ちゃんがどうなっても知らないぜ」 警戒を緩めず、相手を見据える。 「それで、俺達にどうしろと?」 「別にどうかして欲しいわけじゃないさ。ただ、この店が寂れてくれれば俺達は満足だからな。ま、こんな騒ぎを起こす店じゃ、もう客は来ないだろうけどな。物騒なものを持ち出すバイトもいるしな」 やっぱり、嫌がらせだったか。 このまま嫌がらせの理由まで聞くことができれば、その間に佐祐理さんがうまくやってくれるはずだ。 「なんでそんなことを?」 「そこまで答える義理はないってな…っ!」 語尾を最後まで言わないうちに、男は女性を離した。 「お前、なんでっ!」 女性の構えた手には、指の間に握られた四本のメス。男の腕は服が裂けて、うっすらと赤い筋が滲んでいた。 「腕は完全に抑えておかないと、こういったこともされるぞ。どうやらこういったことは本職じゃ無い様だな」 男含めてまわりの視線がそちらへ注がれる。 その隙をついて、男との距離を縮める。 「待てっ!」 後からの声は、すぐに途切れた。舞が応戦してくれている。俺は前方だけに集中すれば良かった。 「ぐっ」 こちらへ向き直ろうとしていた男が、俺の体当たりを受けてバランスを崩す。台に身体をぶつけると、その台のランプも光り出した。 さっきの台も、こうやって女性を台にぶつけてランプを光らせたのだろう。 「青年、少し私も立ち回って良いか?」 「怪我人を出さない程度なら」 「安心しろ、怪我人が出ても私が看てやる。これでも医者だからな」 返答とほぼ同時に、女性は伸びてくる腕にメスを翻していた。 俺も、自分を掴もうとする腕を払いながら応戦した。 通路が広くないので各個撃破できたことと、頼もしい仲間の活躍のお陰で、あっという間に形勢は有利になった。 狭い通路では向こうは思うように動けず、小回りの利く舞は袖をはためかせて、次から次へと立ち上がる向かってこようとする存在総てを打ちのめしていった。 立ち回っていて気が付いたが、相手はどうやら、見た目こそ恐いが実際には普通の男性と強さは変わらないようだった。 「こんなにしやがって、慰謝料請求してやるからな! 噂も立つだろうし、この店はおしまいだ」 それでも、相手の口は減らなかった。 事実、相手の言うとおりこのままだと店の評判は悪くなるだろう。 正当防衛ではなく過剰防衛と見られればそれまでだ。 「一体、なんで嫌がらせを?」 もう一度、質問を口に出す。 「…この店があると、困る人がいるんだよ」 今度は少しまともな返答が帰ってきた。 店があると困る人物…そんな相手は居ないと、佐祐理さんと話し合ったはずだが…。 「これだけ騒げば充分だ!」 一人が叫ぶと、店内中から席を立つ音が響き、足音が出口の方へと向かっていった。 「いけない、逃げられる!」 出口へと駆け寄ろうとすると、今度は相手の仲間が立ちふさがる。明らかな時間稼ぎだ。 舞を見ると、そちらも別の男が前後を挟んでいる。あれでは舞も動けない。女性は俺の後だ。 万事休す、そんな言葉が頭をよぎった瞬間に、店内に佐祐理さんの声が響いた。 「動かないでくださいねーっ! 出口はロックをかけましたよー」 マイクを通した声にの主は、思ったより近くにいた。 ワイヤレスマイクを持ったまま、佐祐理さんは俺の方へ向かってきた。 「防犯カメラに、女性を台に押し飛ばす瞬間が撮れていました。顔も鮮明に写っていましたよ」 マイクと逆の手に、画像をプリントアウトしたらしい紙を持っていた。男の方へその紙を広げると、男の顔色が一気に悪くなっていった。 「ばかな、そんな鮮明に撮れるはずが…」 「最新の設備を、総ての台の全方向から多数使っていますから。この映像をパチンコ協会と警察に送信します」 「そ、それはっ」 警察沙汰になることを対して恐れていなかった男が、急に口ごもった。 「…パチンコ関係者なのか?」 俺の問いかけにそっぽを向いたが、その一瞬の表情は見逃さなかった。どうやら、推測は正しいらしい。 「あら、何の騒ぎですか」 ひょいと島の角から顔を覗かせたその人の名前を口にしたのは、俺よりも男の方が先だった。 「水瀬、秋子さん…」 「こんばんわ、佐藤さんでしたよね、パチンコ関連の設備会社で今度常務になられたそうですね。おめでとうございます」 秋子さんの口から出た言葉に俺達が驚くよりも先に、更に秋子さんはまわりを見渡してその場にいる男達の名を呼んだ。 「まぁ、皆さんお揃いですね。秋山さんに広瀬さんも。そちらの若い方は、『パチンコ平成』の支店で搬入の手伝いをしていましたよね?」 思ってもいない人物の登場に、相手は明らかに動揺しはじめた。 なぜ秋子さんがこんな所にいるのか、こんなに事情通なのかは今はさておき、今回の事件の真相を聞くには今がチャンスだ。 「設備会社の人が、どうして嫌がらせを?」 三度目の質問で、今度こそ聞きたかった答えが返ってきた。 「うちの会社と契約しているところが、契約破棄をほのめかしてきているからだよ」 諦めたような、ふてくされたような声で答えたのは、先程常務と呼ばれた男だ。 「それがこの店と、どういう関係があるんだよ?」 「この店の設備を提供している会社に乗り換えるって言われたんだ! たしかにこの店の設備はいい、だが、俺達の会社ではこれだけの設備は提供できないんだよ」 俺は他を知らないが、確かに何人もの人からこの店の設備の良さは聞いている。だが、こんな事が起こるほどのものだとは思ってもいなかった。 「俺が常務になったのも、責任を被って会社を辞めれば会社は無事だからだ。この店の評判が悪くなれば、契約破棄を考え直してくれるところも多いはずだ」 仕事、会社、立場、それらを背負うことは、俺が思うより大変なのだろう。いつかは自分も背負うことになり、佐祐理さんはすでに背負っているそのことの重さを、俺は目の前にいる男から感じた。 小さな間の後、口を開いたのは秋子さんだった。 「ここの店長さんは、いらっしゃいますか?」 「はい」 佐祐理さんが歩を進める。 「この店の設備費は、どのくらいかかっているのかしら」 「モニターと言うことで実際には格安でつけて貰っていますが、そうでなければ…これくらいです」 両手についた指の、ほとんどをまっすぐに立てる。 「佐祐理さん…それ、単位は十万?」 「あははーっ、違いますよ、百万です」 『百万っ!』 俺と常務との声が重なる。 「それじゃ、他のお店ではすぐに契約するのは無理ですね。その値段が手の届く範囲まで落ちるのには、まだ当分かかるでしょう?」 秋子さんの言葉に、常務が複雑な表情を浮かべる。 「それじゃ、俺達がしたことは……」 無駄だった、ということになる。 人差し指を立て、思案顔で秋子さんは尋ねる。 「店長さん、ここは一つ、無かったことにしてはどうでしょう。 騒ぎを起こした店と言われるようになったら、この店にとってもイメージダウンでしょう?」 縋るような眼差しで常務は見つめる。他の男達の眼差しも同じだ。 …本当ならそんな申し出は受け入れられないだろう。しかし。 「あははーっ、いいですよーっ」 笑顔一つで受け入れてしまう、そういう人なんだ佐祐理さんは。 「もう、こんな事はしないで下さいねー」 たったそれだけの条件で、男達を許してしまった。 「ありがとう…!」 常務の短い言葉は、それでも語尾が震えていた。 ロックは総て外し、団体は帰るべき場所へ去っていった。 台のランプは消して、散らかった場所は掃除をし、騒ぎの跡形はもうほとんど残っていなかった。 秋子さんは佐祐理さんと話をするといって控え室へ行ってしまったし、佐祐理さんは今回のビデオテープを消去すると言っていた。 女性には、迷惑を掛けたお詫びに、好きな景品を差し上げた。妹さんへの土産にしたいと言って、店の中で一番大きなぬいぐるみを選んでいった。佐祐理さんは笑顔で、ぬいぐるみの宅配の手配をしていった。 「学会とはいえ、こんなに長い間妹を留守番にさせておくのは初めてなんでな。いいものを土産にしようと思ったら、この景品が目についた」 「可愛い妹さんなんですね」 「ああ、かわいいぞ。ここの店長と歳もそう離れていないだろう。まぁ、こうやって泊まりがけで来られたのも、居候がついているからだが」 そう言って笑うと、軽く手を振って去っていった。 残り香に、ようやくそれが消毒用のアルコールの匂いだと気が付いた。 時計は閉店時間を示し、店内には蛍の光が流れる。 あれほどの騒ぎがあったのに、この時間まで打っていた客が結構いたことに気付かされる。 「なぁ、舞」 「…何?」 「今夜はカツ丼だったよな」 「…大盛り」 「それは聞いてないぞ」 「…お新香、おみそ汁付き」 「それも聞いていない」 何があっても、やっていけるような気がした。 「あははーっ、佐祐理もおみそ汁付きが良いです」 俺と、舞と、佐祐理さん、この三人さえいれば。 |